小さな古城址
− 海尻城址 −

【年月日】

2022年11月19日
【同行者】 単独
【タイム】

海尻局前(11:44)−海尻城址(11:59)−海尻局前(12:09)

【地形図】 松原湖 ルート地図

 海ノ口から海尻にかけて、平安時代に湖(千曲湖)ができたことは史実だろうが、その原因について、確たることはわかっていないらしい。
 海尻城址の説明板には、888年に八ヶ岳が水蒸気爆発を起こして東天狗が崩壊し、大月川を流下した土砂が千曲川をせき止めたとある。
 大月川を土砂が流下したのは確からしいが、東天狗(あるいは稲子岳?)の山体崩壊が起きた原因が噴火によるものか、地震によるものかについては、諸説あるものの、詳細については不明だという。

 ちなみに887年に南海トラフ地震(仁和地震)が起きている。

 海尻と松原湖の中間あたりは谷が狭くなっており、ここがネックになってせき止められたのだろう。
 松原湖や大月湖はその名残で、堰止湖が崩壊した際に家畜が流されたのが、馬流の地名になったと思われる。

 海ノ口は千曲湖のバックウォーターで、海尻は文字通り流出口で、地名を現代に伝えているのだろう。

医王寺山門
医王寺墓地の欅

 海尻城は、小さな丘の上にあり、戦闘の際に拠点となるには不十分だが、説明板には狼煙台として機能したものだと記されている。

 郵便局前の広い駐車場から国道に戻り、諏訪神社に拝礼ののち、医王寺への路地に入る。
 小さな豆腐屋さんの看板に、「秩父屋」とあるので、ちょっと驚いた。

 仁王像の先、山門の手前に道標があり、左に入ってほんのすこし登れば、海尻城址だった。
 あずま屋あり。
 休むほどのこともなかったので、すぐに戻った。