長者山から下山したあと、まだ早かったので、天こう峯に行ってみた。
岩下バス停わきに自動車をとめ、「参道」の表示に従い、U字溝に沿って登山道に入った。
入口にお堂があり、二十三夜塔と道祖神が立っていた。
今はお参りする人もほとんどいないと思われる。
道は部分的に踏みあと化する。
石仏は、数体ずつ、まとまって建てられている。
風化がかなり進んでいるが、表情はとても素朴だ。
ここでまたも、妄想。
ある日
(A助) ちょっくら頼みがあるんだが。
(高遠の石仏師D蔵) 仏様刻みのことかい。
(A助) うん、観音様のことだ。じつは、観音様の顔を、20年前に亡くなったG右衛門お爺に似せて刻んでもらいてえ。
(D蔵) わけねえことだ。おれが子どものころ、麻を売りに諏訪へ行くとかでよく、うちに寄ってくれたよ。飴などもらって嬉しかったから、よく覚えてらぁ。
数日後
(A助) おい、お婆さん。観音様が彫り上がったっつうから、見てみろ。
(I婆さん) どれどれ。あれまぁ、お爺さん ! うわーん、これはお爺さんじゃねぇか !
(A助) お爺さんだけじゃねぇよ。
(I婆さん) あやー、こっちの薬師様は、若くして死んだ、向かいのJやんじゃねぇか。おらあ、生娘のころ、好きだったんダニ。
(A助) そうなんか。四国八十八ヶ所の石ぼとけ様は、D蔵さに頼んで、亡くなった村の衆の顔に刻んでもらっただよ。死んだお爺お婆が、流行り病から村のみんなを守ってくれるようにってな。
(I婆さん) うわーん。うわーん。うわーん。
ずっとスギ林で、スギエダタケがそこここに出ていた。
尾根にとりつくところから雑木林。
標高が低いため、紅葉は長者山より遅い。
ジグザクに登れば頂上は近く、広い作業道に出る。
林道終点のようなところに看板があって、石仏の調査は、比較的最近になって行われたことが記されていた。
とても貴重な仕事だ。
金毘羅神社は痕跡だけ残っていて、すぐに山頂。
石仏は北アルプスを向いており、展望図なども設置されているが、今は草が繁茂して、展望はほとんどなし。
すぐに来た道を戻った。
下山後、自動車をとめたところの近くにある、麻煮の釜屋を見に行った。
二階建ての建物の中に大きな桶があり、桶の中に筒状の釜があるらしい。
説明板には昭和10年代の築造と記されており、じつにすごい産業遺跡なのだが、さほど大事に保存されているようには見えなかった。
石仏や、このような史跡が朽ちていくのは、残念極まりなく思える。
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