秩父札所をめぐる
− 鹿谷城址周回 −

【年月日】

2022年10月28日
【同行者】 単独
【タイム】

秩父34番入口(8:30)−廃村(9:46)−鹿谷城址(10:40-11:16)
−峠(11:34)−秩父34番入口(12:14)

【地形図】 日名 ルート地図

 ナビが更埴インターで降りるよう指示してきたので、どこを通るのかなと思っていたら、信更地区を山越えして新町に出るのだった。
 長野インターで降りて国道19号を行くより、確かにずっと近いのだが、できれば山越えルートは通りたくない。

 大岡特産センターの手前を西に入り、急な道を登っていくと、旧信級村。
 田んぼはあるが、日当たりはさほどでなく、市街地へはかなり距離があるので、ここでの暮らしはちょっと苦しそうだ。

 田畑のある集落を抜けると「全面通行止」の看板があってビビるが、登山口と考えていたところまでは、問題なく通行できた。

ハイイロシメジ
聖観音像

 秩父34番石仏の看板があるところから山に入る。
 踏みあとは補修されているが、やや荒れている。

 ロープが出てくるので、それにすがって登る。
 石仏めぐりがこんな急登なはずはないので、かつての参道は消失してしまったのだろう。

 崖のように急なところを登れば、落ち着いた登山道になる。
 尾根の上には、観音の石仏が散在していた。

人家
ムラサキシメジ

(A助) よう。去年の秩父巡礼、ありゃあ行ってよかったな。あれ以来、日照りもないしはやり病もなくなった・・。
(B兵衛) そだな。おかげでオラも嫁もらうことができただよ。
(C左衛門) どうだ。裏の山に34の観音様さ建てて、いつでも誰でも秩父巡礼できるようにするマイカ。
(D右衛門) そりゃいい考えだ。村じゅうみんなでやればできるズラ。
(E太郎) 石は、山の岩を切り出そう。仏師は、高遠さ行って頼んでくる。
(F之助) そのときに、観音様にご詠歌も彫り込んでもらうマイカ。子や孫に、オラたちの仕事を伝えるんだ。

 そんな会話が交わされたかと妄想する。

鹿島槍
白馬岳

 この日はなんだか身体が重かった。
 ハイイロシメジが出ているのを見ながら登っていくと、ブナの大木があったりする。

 山畑あとらしきところがあるのだが、なぜか草が刈ってあったりする。
 峠状のところを越えると、廃村。
 ここは大姥山の近くなのだが、近辺では、2,30年以前に大量に離村する動きがあったのだろうか。

 薪がしっかり積んである。
 畑あとには、ツル物用の支柱が立てたままになっている。
 ここに至る車道は見当たらないのだが、自動車までおいたままになっている。

 ここでしばし道迷いして、城趾への道に入る。

ルリタテハ
鹿谷城址

 道幅はけっこう広いので、廃林道かもしれないが、崩壊箇所もあり、完全に山道化している。
 道の中にムラサキシメジが出ていたりする。

 途中の植林地から、後立山が見えた。案外な大展望で、爺ヶ岳から白馬岳まで。
 白馬はすでに真っ白だが、鹿島槍はまだ、それほどでもなかった。

 廃林道が終わると鹿谷城址は目の前で、大岩を見て少し下れば、本曲輪だった。
 小さな曲輪で、城というより砦という感じだ。
 眼下に信級の集落が見える。
 ここで大休止。

 田んぼもあるが、さほど広くないので、年貢自体はあまり得られなかったかもしれない。
 しかし、麻作りなどでそれなりに収入が得られるここは、小土豪にとって最高の小天地だっただろう。
 武力の面では弱小だった城主松崎氏は、一夜にして壊滅したという。

 城址から峠バス停まで、ひと下り。
 バス停からは、少々長い車道歩きだった。

 峠下には立派な木造校舎の信級小学校があった。
 とてもいい学校で、体育館やプールも残っていた。

 おれの勤める学校では今、コンピュータやプロジェクタを使った授業が大流行で、若い人は皆、そいつを使っている。
 おれはチョーク一本しか使わないので、子どもの顔を見ながら語りかけるしかない。

 なんだかなーと思いながら、登山口まで歩いた。