また石仏鑑賞
− 弘法山 −

【年月日】

2022年6月18日
【同行者】 単独
【タイム】

駐車スペース(9:25)−弘法山(10:16-10:45)−駐車スペース(11:37)

【地形図】 別所温泉 武石 ルート地図

 前山寺近くにある、塩田城址の駐車スペースから登り始める。

 塩田城は北条義政が築いたという。北条義政は、鎌倉幕府を支配した北条氏の一門で、得宗家を補佐した。
 鎌倉時代の遺跡なので、かなり風化しており、原型を想像するのは困難だ。

虎口にある石積み(大きな写真)
石段(大きな写真)

 虎口だという場所には石積みがあるのだが、たぶん鎌倉時代のものではなく、もう少し後のものだろう。
 そもそも、山城はちょっとしたピーク上に築かれるのが普通で、塩田城は山の懐にあったのだから、城というより館というべきだろう。

 ここにあった北条氏は、義政の次の国時のときに幕府とともに滅亡し、塩田平一帯は南北朝から室町時代にかけて村上氏が支配する。
 村上氏はその間、豊かなこの一帯をめぐり滋野一族などと抗争したから平穏な時代でもなかった。

 また村上氏の本拠はここではなく、葛尾城などもっと北の方だったと思われるから、ここには配下の者をおいたかと思われる。
 その後、村上氏を追った武田氏の手に落ち、飯富虎昌が入ったということになっている。

 ということで、石積みは村上時代か、武田時代のものかと思われる。

岩場(大きな写真)
ここを通れと言われても無理(大きな写真)

 少し先に、北条国時の墓という木柱があって、墓石が三基、並んでいた。
 木柱は立木に立てかけてあり、どの墓石をさしているのか、不明。
 また墓石はごく普通の自然石で作られており、文字は風化して読むことはできないのだが、鎌倉時代のものとはとても思えなかった。

 ここから本格的な登りとなる。
 小尾根に上がると岩があるが、すべて巻き道がある。

 けっこう急なところを行くと、ひどく急傾斜な石段がある。
 新しい紐が三本下がっているので、それをつかんで登るが、この紐がなければちょっと行きたくないくらいの傾斜だった。

ミヤマママコナ(大きな写真)
観音が安置されてる(大きな写真)

 石段を登りきると、石が挟まったようなところで、ここは這いつくばってくぐり抜ける。
 さらに手がかり豊富とはいえ、壁のような岩。

 これを登ったところに穴が空いていて、ルートは穴をくぐるようになっていた。
 ザックを背負った状態ではとてもくぐれないし、その先にはさらに小さな穴が見えたので、ここはエスケープルートを行った。

 登りきったところにあずまやがあったが、ピークはもう少し先だった。
 ここで大休止。
 周囲ではミヤマママコナが花盛りだった。

 下山は東ルートへ。
 こちらは岩穴や崖などはなく、急だが穏やかな道。
 三十三観音だという石仏が、岩窟に納められている。
 古いものではない。

大法寺三重塔(大きな写真)
大法寺のウツボグサ(大きな写真)

 下山後、青木村の某渓流で竿を振った。
 やはり下調べ不足で入渓点がよくわからなかったのだが、ヤブのかぶさった小渓で、水量は少ないものの渓相は悪くなかった。
 先行者がいるようにも見えなかったが、アタリさえなく、完全にボウズを食らった。

 帰る途中、青木村の美術館と大法寺を訪れた。
 大法寺はたぶん三度目。
 三重塔はじつに美しい。

 美術館は初めて。
 村にゆかりの芸術家の作品が飾られていて、眼福なひとときだった。