晩秋の戸隠・少し悲しい人間もよう
【年月日】 1995年10月19〜20日
【パーティ】 単独
【タイム】 10/19 奥社入口(12:10)−五十軒長屋(13:13)−八方睨(14:06)−戸隠山(14:17)
−一不動避難小屋(15:38)
10/20 一不動避難小屋(6:00)−五地蔵(6:42)−高妻山(8:13)−乙妻山(8:55)
−一不動(11:43)−キャンプ場入口(1:25)
【地形図】 高妻山
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一日目(奥社〜一不動)
戸隠に着いたのは12時を回っていた。
キャンプ場入口のバス停に流星号(MTB)を置き、奥社入口の大駐車場に自動車を置いた。
ガイドブックによるコースタイムは一不動まで4時間強だから、ちょっと忙しい。
駐車場から奥社に向かう道は、自動車も通れるくらいの広い砂利道。道の両側はネマガリタケのヤブだが、ミズナラの巨木があってなかなかの風情。
由緒ある神社というとスギ並木、というのがおきまりのパターンだが、ミズナラの天然林の方がはるかに荘厳な雰囲気を醸す。
すぐに随神門をくぐる。大きな門柱の中には、寺院なら仁王像がありそうだが、ここは神社だから神像が安置されていて、おもしろい。
ここからはスギ並木。説明版に1612年に植えたと書いてあるだけあって、とても立派な巨杉だ。
まもなく奥社。
戸隠神社の歴史も興味深いが、歴史の散策はいつか別の機会に譲ることとし、この日は社務所の脇の登山者カードに記入し、そのまま山道にとりついた。
紅葉も盛りを過ぎ、道には落葉が散り敷いている中、はなからずいぶんきつい。一息つく間もない急登がずっと続き、前方に岩場があらわれ、鎖場をひと登りすると五十軒長屋、百軒長屋。
登りはじめてからちょうど1時間たったので、ここで小休止。
厚い雲が垂れ込めており、前方の飯縄山はガスの中。
さらに鎖場を登り、西窟というところを回りこむと、また、胸つき岩という岩場。
そこからは鎖場の連続。
このコースにはぴかぴかのま新しい鎖がたくさんかかっており、それはそれでありがたいのだが、鎖が岩場のルートに沿っておらず、三点支持で登った方が楽に登れるところが多いというと、注文のつけすぎだろう。
この岩場を構成している岩は、丸い石ころがざらざらした岩の中にたくさんはまっているもので、独特の感じがする。
『戸隠高原の自然観察』(日本自然保護協会)によれば、この岩は海底火山の活動によって溶岩が土砂とともに堆積してできた凝灰角れき岩というのだそうな。
地質学的な成り立ちはともかく、石ころが岩にたくさん貼りついているためホールドにはこと欠かないが、その石がすっぽりと抜け落ちそうで安心できないところがある。
急登を登りきると、両側が切れ落ちた平均台のようなやせ尾根。
はじめの黒っぽい岩はいったん右下におり、スラブ状の岩場を鎖につかまってトラバース。
再びよじ登ると今度は赤っぽくさらに幅の狭い岩尾根。
こっちの岩場には巻き道は見あたらなかったので、尾根にまたがり、ずりずりと這って通過。
岩そのものがいかにももろそうな感じだったので、ここはほんとうに恐ろしかった。
その上の鎖場を登りきり、主稜線に出たときはほっとした。
そこが八方睨で、その名にふさわしく八方さえぎるもののないピークだったが、この日はほとんどなにも見えなかった。
八方睨からは、普通の尾根道。
イワカガミ、ネバリノギラン、リンドウ、アキノキリンソウ、シシウドなどが枯れていて、オヤマボクチはまだ花の形を保っている。
イワナシの葉はまだ生きていた。
北にしばらく行った戸隠山というピークで小休止。
尾根の西から風が吹いてき、東側はガスが湧いていた。ダケカンバ、コメツガ、ナナカマド、ブナなどとツツジ類が繁る尾根だが、ときおり高妻山が顔をのぞかせた。
一不動への下りから避難小屋の屋根が見えてき、急降下すると小屋の前に着いた。
小屋に荷物を入れ、まずは水の確保に出かける。
小屋前から下山道を下ると道のわきになかなか豊富な氷清水のわき水。冷たくてうまい。往復実働20分と少し遠いが、とてもよい水場だ。
ペットボトル2本を満タンにして小屋に戻ると、中年男性が泊まる支度をしていた。久びさに一人っきりの避難小屋になるかと思ったのだが、ウィークデーに戸隠の避難小屋に来る、私のようにひまな人もいるのだ。
完全に暗くなる前にシュラフに入ってうとうとしていたら、小屋の外で「お疲れさま!」という声が聞こえ、小屋の戸があいて学生がどやどやと入ってきた。
一不動避難小屋の戸は鴨居の上のレールにひっかけて使うようになっているのだが、ある程度開けるとがたんとはずれてしまう。
学生が開けたときもはずれてしまい、戸が広く開いたままになった。
入ってきた学生はその戸を閉めようともせずに、ヘッドランプをわれわれに向け、「人がいる!」と叫んだ。
いかに避難小屋とはいえ、自分の家でない建物の戸を開けるときには、「こんばんは」くらい言うのが普通だろう。
普通の人間の常識も知らないやつは山にきてもろくな人間ではない。
寝ているときに懐中電灯を突きつけられるほど不愉快なこともないのだが、この馬鹿たちは、お巡りさんじゃあるまいし、まったく無遠慮にヘッドランプを向けてくる。
最低の礼儀も知らないやつに腹を立てるなど無駄なことなので、「寒いから戸を閉めろ」とだけ言ってやると、小声で「戸を閉めろって言ってるぞ」などと言い合ってから、苦労して戸を閉めていた。
戸を閉めることさえいちいち相談しないとできないらしい。
せっかく眠っていたのにこの学生たちのために目が覚めてしまった。
ばからしいが、ほかにやることもないので、シュラフにもぐったままでしばらく馬鹿の観察をすることにした。
目の前にいる馬鹿は3人だが、一人のやつが軍隊映画にでてくる上官みたいに、えらくいばっていた。
そいつが上級生なのだろうか。
何人かが水を汲みに行っているらしく、しばらく3人ともなにもしないでぼうっとしていた。
1時間近くもかけて水場に行っていた2人のけらいが、ポリタンを持って登場し、炊事が始まった。
寝ている人がいるのだから、この場合炊事は外でするのが一般常識だが、この連中にそんなことは理解できないだろうし、まっくらになってしまったので仕方ないともいえる。
様子をうかがっていると、上級生らしきやつがなんのかんのと小言を言うので、耳ざわり。
その小言も「その荷物をもう少し横に置いとけ」とか、どうでもよさそうなことを、いかにもにくにくしげに命令してた。
いくらか利口な人間だったら、「くだらないことをいちいちえらそうに言うな」と逆らうところだが、4人とも「ハイ」「ハイ」と従順に従っていた。
このばかな一行は、5人がかりで、3時間もかけてインスタントラーメンとインスタントココアを腹に入れてようやく静かになった。
3時間近くも眠るのを妨害されたが、やっと眠ることができた。
夜になって風が強くなってき、落ち葉と雨がカマボコ型のトタン屋根をたたきはじめ、明け方ころはシュラフ2枚重ねでも底冷えがするほどだった。
二日目(一不動〜高妻・乙妻〜キャンプ場)
明け方(といってもこの時期なのでまだ真夜中)4時半に、けらいの一人の体で、目覚まし時計の音が鳴り響いた。
いったいこいつらはなんなんだ。
ここはおまえたちの家か?
寒さの中にも腹が立ってきたが、こんな連中に腹を立てても無駄だ。はんぶん眠りながらそんなことを考えているうちに、こいつらがふたたび騒がしく動き始め、上級生がいばりはじめた。
次に目が覚めたのは5時25分。
私がシュラフから出たのは5時半。お湯を沸かしながらシュラフをたたんでパッキングをすませ、薄味クリタケ入りうどんを食べ、小屋からほど遠いところでキジを撃ち、ザックを背負って小屋を出たのは6時だったが、この連中は、さすが間が抜けてるだけあって、起きてから1時間半もかけてまだラーメン一杯を食べ終わっていなかった。
飯縄山と黒姫山の間から陽は昇っていたが、まだ雲の中。
風は残っており、高妻山方面は完全にガスっていたが、昨夜の荒れ模様からすればこれならまずまず上出来。
ご来光こそ見えなかったが、飯縄山、黒姫山が逆光にくっきりと浮かんでいた。
歩き出しから急登だが、シュラフと炊事用具を小屋にデポしてきたため、体は軽い。
二釈迦、三文殊、四普賢。
おりしも太陽が顔を出し、五地蔵の東面に斜光線があたる。いくらか顕著なピーク、五地蔵に着いて小休止。
昨夜の雨はみぞれだったらしく、ネマガリタケの葉には白く雪がついていた。
ガスに包まれた高妻山からはチリのような風の花が飛んできた。
六弥勒、七観音、八薬師、九勢至と小ピークを越えると巨大な高妻山が近づく。
八方睨から西岳にかけての険しい尾根に斜光線があたっていいシャッターチャンスだ。
アカミノイヌツゲやナナカマドの実も目を楽しませてくれた。ダケカンバに混じってオオシラビソやシャクナゲも多い。
九勢至から急降下して高妻山への急登。
ここの登りは急傾斜かつ長い。
ササについた雪が多くなり、木々には樹氷が美しい。
ようやく傾斜が緩むと、草原状のところ。
その先が高妻山の頂稜で、蓼科山の山頂をずっと小さくしたような大石の重なりだった。
登りつめると高皇産霊阿弥陀如来と刻まれた鏡の立つ十阿弥陀。
三角点ではないが、雰囲気的にはここが山頂なので、腰を下ろした。ちょうど8時。
残念なことに展望は全くなく、うっすら積雪。
まだ早いので乙妻山をめざした。
ここまで来ると木々についた雪がずいぶん多くなり、たいした積雪でないとはいえ、シーズンはじめての雪山となった。
尾根が広がり、ササとハイマツの気持ちのよい斜面をゆるく下る。
二重山稜に似た凹地帯は湿地で、ガンコウランの群生が広がるかわいいところだった。
湿地の先を少し登ったところが乙妻山の三角点だった。まだ9時前。
なにも見えないのは残念だが、このピークを踏んだ充実感が心に充ちてくる。
氷清水で汲んだ水を飲み、せんべいをかじる。あとはもう帰るだけだ。
帰る途中、高妻山の手前で例のおかしな連中とすれ違った。
楽しい山なのに、ひきつった顔をして、一列縦隊で、ぞろぞろ歩いていた。
そうなのだ。
彼らがおろかなのは、山を楽しんでいない、ということなのだ。
一不動に戻ったのは12時前だった。
高妻山や乙妻山は初冬の風情だったが、九勢至あたりに来るとガスも消え、夏山同然。
避難小屋でラーメンを食べていると、八方睨から来たハイカーが食事のために入ってきた。この人たちもなかなかにぎやかで楽しそうだ。
戸隠では、いろいろな人間模様を見させてもらった。
山は、修行をするところでも、苦痛に耐えるところでもなく、楽しく過ごすところだ。
山の楽しみ方は下界の楽しみを持ち込むのではなく、山の静かさや美しさ、山の幸や、友だちと共有する時間をじっくりと味わう楽しみであってほしい。
一不動からは戸隠キャンプ場方面へ下山。
氷清水の水はとても貴重だ。ザックが多少重くなったが、ペットボトル1本背負って帰ることにした。
氷清水のすぐ下が帯岩というナメ滝になっているが、ぴかぴかの鎖がついているので心配はない。
もう一ヶ所の鎖場を下るとあとは大洞沢に沿ってのんびり行くだけだった。
牧場を過ぎるとキャンプ場の入口で、MTBをデポしたバス停はすぐだった。
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