能勢の妙見さん参り

【年月日】

2023年12月25日
【同行者】 単独
【タイム】

妙見口(7:36)−黒川駅(7:58)−妙見さん(9:32)
−妙見口(10:53)

【地形図】 広根 妙見山 ルート地図

 混雑は嫌なので、少し早めに登山口へ向かう。

 阪急電車に乗ったことはあるが、能勢電車は初めてだった。
 乗り換えをミスるといけないので、あまりのんびり読書というわけにもいかなかった。

能勢電車
ケーブルカー

 妙見口の駅前は閑散としていた。
 秩父鉄道で言えば、三峰口みたいなところなので、似たようなものだった。

 ハイカーなど一人もいないし、観光客もいない。
 ザックを背負って街なかを歩くのが場違いな感じ。

 車道をしばし歩いて県境をまたぎ、登山ケーブルの黒川駅へ。
 ちょうど一年前に営業をやめてしまったのは、とても残念。
 できれば、下山のときに乗りたかった。

 ここから大堂越コースに入る。

 しばらくは、堰堤工事で使ったと思しき車道を行く。
 登山道に入ってからは、枯れた沢沿い。

 アキカラマツがまだ咲いている。

ブナ
妙見さん

 大堂越から尾根道となる。
 そこそこ急登だが、すぐなだらかになる。

 車道に出ると墓地があってお寺もあるが、ここは妙見さんではない。

 墓地に入っていまい、ルートを少しミスったが、すぐに復帰。
 ブナの大木が数歩生えたところに出た。
 いいブナなのだが、倒木もあって、あまり健康でないのかもしれない。

 いったいなんなのか、ものすごく大きな建造物がある方へ歩いていくと、妙見さんの中心部が見えた。

 ここまで道標を見て「本殿」とあるので、これはなにかの間違いかなと思っていたのだが、妙見さんの中核的な建物は「本堂」ではなく「本殿」なのだった。
 本尊は北辰妙見大菩薩だというから仏であるはずなのだが、菩薩とはいえ、妙見は法華経の守護神であるからいわば神で、ここはお宮と認識されているのである。
 理屈的には難解だが、ここは間違いなくお寺なので、手を合わせた。

妙見さん
樹種不明

 帰りは新滝道コースへ。  こちらはまさに、三峯神社の表参道コースだった。
 道沿いの随所に茶屋があって、そのすべてが戸締めになっていたり、崩れ落ちていた。

 滝がいくつかあるのだが、すべて、参道から見えないように目隠しをしてあって、おそらく見料をとるようになっているのだが、通る人が一人もいないのだから、現状は単なる廃墟なのだった。
 立派そうな稲荷神社があったので、お参りしていこうかと立ち寄りかけから、いきなり大音量のアラームが一帯に響き渡り、ぶったまげてその場を離れた。

 なんか全体的に、セコすぎると感じた。

阪堺電車
本願寺堺別院

 まだ少し時間があったので、堺に出かけた。

 天王寺から阪堺電車に乗る。
 これに乗るのはたぶん初めて。

 観光スポットではないのだが、本願寺堺別院というお寺がある。
 都会のど真ん中なので、案内図みたいなものがないと手も足も出ないのだが、スマホがあるので問題なくみつけることができた。

 1590年の小田原征伐で本家が崩壊し、鉢形城も落ちたのだが、北条氏は断絶したわけではなく、北条氏規(氏政の弟・氏邦の兄)や氏直(氏政の子で小田原城主)は生きながらえた。
 氏規の子孫は狭山に領地を与えられ、北条氏は一万一千石の外様大名として、江戸時代も存続した。  弱小大名ゆえ、城郭を構えることはできず、陣屋で領地を治めたが、幕末には財政が破綻し、維新直後に崩壊した。

 狭山藩陣屋の北表門が、このお寺の御成門として移築されている。
 北条氏関係の建築物で現存するのは、たぶんこれだけだ。

 お寺にも門にも、北条氏に関する説明は何もなく、扉の金具もとれかけていた。
 関東の覇者だった先祖が見れば、思うところも多かっただろう。