雪の金剛山
- 千早から高天へ -

【年月日】

2013年12月27日
【同行者】 単独
【タイム】

金剛登山口バス停(8:35)−千早城跡(8:53-8:58)−あずまや(9:06-9:51)
−転法輪寺(10:52)−高天彦神社(12:09)−高天口バス停(12:23)

【地形図】 御所 ルート地図

 ちょうど一年前に葛城山から望んだ金剛山が立派だった。
 今回は千早赤阪村側から登って、御所市に下りた。

千早城跡(大きな写真)
千早神社(大きな写真)

 南海電車の河内長野駅を降りると、天気がよくないのに、登山の格好をしたオジサンが歩いていた。
 おかげで、バスの発車場所がすぐにわかってよかった。

 オジサンたちは、お互いに顔見知りらしく、「今日は天気悪いな」とか「○○さんは今日は来てないな」などと会話していた。
 察するにこの人たちは、ほぼ毎日、金剛山に登っているらしい。
 記録のために山に登る人の気がしれない。

 バスは普通に街の中を走って行くが、車窓に棚田が目立つあたりから、急勾配の道路を苦しそうに登っていく。
 ほとんどの人は、自分が降りた「金剛登山口」で降りた。

 ここには広い有料駐車場とトイレが完備されており、土産物屋が軒を連ねていた。
 トイレをすませてスパッツをはいていると、バスから降りた人々は、すでにどこかへ消えてしまっていた。

 いろんなところを見物しながら登ろうと思っていたので、道標に従って、千早城跡への階段道に入る。
 さすがにひどく急傾斜なところだったので、えんえんと続く階段には、かなり疲れた。

 千早城址は、閉鎖された土産物屋がもの寂しげな場所だった。
 城跡から平坦になった道を少し行くと、コチラも寂しい千早神社があった。
 その先にゆっくり休むことのできる施設があるかわからなかったので、コンクリート製のベンチのあるあずまやで、早々に大休止とした。

 先日の三ツドッケ山行で水作りに使ったMSRウィスパーライトを持ってきたのだが、ガソリンが少なくなっていたのか、何度も立ち消えになったのには参ったが、とりあえず、ラーメン一杯を食べ、ポットにお湯をわかすことはできた。

 少し下って登り返すと、賑やかなT字路で、たくさんの中学生が休んでいた。
 そういえば、昨年だったか、金剛山でおおぜいの中学生が遭難しかけた事件があった。
 ここにいたのは、そんな登山をやってる学校の一つなのだろうが、あのような事件があっても行事をやめない根性は、けっこうなことだと思った。

転法輪寺(大きな写真)
葛木神社(大きな写真)

 ここからは、中学生と抜きつ抜かれつ(中学生は速く登ってすぐに休む)、とても人工的な道を登っていく。
 ガスのため展望皆無な上、意外なことに、見るべきものがそもそもほとんどないルートを、ひたすら登って行くと、土産物屋だか宗教施設の立ち並ぶ山頂の一角に出た。
 ここまで来ると、そこそこの積雪があり、チラホラと雪も降っていた。

 土産物屋で何が売ってるのかもよく見えないので、とりあえず転法輪寺にお参りした。
 ガスの中、中学生を含めおおぜいのハイカーがうろうろしていたが、お寺には、人影がほとんどなかった。

 お寺のわきから、あらぬ方向に歩き出しかけたが、すぐに気がついて、葛木神社への広い参道に入る。
 積雪のためわかりにくいが、ここはどうも、車道らしい。

 夫婦杉という立派な杉を見ると、葛木神社。
 ここの祭神は、『古事記』に出てくる神々の中で最もカッコよい一言主神だ。

 さらに行くと、変形十字路で、仁王杉という巨杉がある。
 まっすぐ行くと、ブナの木があるらしいが、ここは左に御所方面への道に入った。

夫婦杉(大きな写真)
仁王杉(大きな写真)

 よい調子で下って行くが、周囲はずっと、手の入っていないスギ林で、見るものが何もない。
 とにかく、つまらなくて長い下りだから、ここを登る気にはなれない。

田んぼのあと(大きな写真)
高天彦神社(大きな写真)

 ようやく出たところは、高天集落の一角で、水田あとが侘しい。
 米作りをやめたのはついここ数年と思しき田んぼのあとには、壊れた運搬機が放置されていた。

 左に回って行くと、高天彦神社。
 ここの杉並木も、そこそこ立派だ。

 こちらは、大和政権の祖先神であるタカミムスヒを祀っている。
 タカミムスヒがどうして、葛城に祀られているのだろうか。

 13時07分に高天口バス停に来る市営バスに乗るつもりだったのだが、時間のゆとりは十分だった。