山辺の古刹
- 二上山から當麻寺 -

【年月日】

2010年1月4日
【同行者】 単独
【タイム】

二上神社口(10:33)−大津皇子墓(11:27)−雌岳(11:50)−岩屋峠(12:03)
−祐泉寺(12:19)−傘堂(12:40)−當麻寺拝観(12:55-14:55)
−当麻寺駅(16:07)

【地形図】 大和高田 ルート地図

雄岳近くから雌岳を望む
サザンカ咲く道

 近鉄ニ上神社口から歩き出す。
 前方には二上山が見えている。
 国道を渡ってまっすぐ行くと、加守神社。
 まずはここで拝礼して、登山道に入った。

 スギの植林とカシ類の雑木林が交互に出てくる普通の道だが、立木に「美化協力金200円を支払う意志のない人は引き返せ」という不審な貼紙が出てくる。
 ニ上神社が雄岳山頂の地主らしく、通行料を徴収しているのである。

 もしトラブったら、山頂をエスケープしていくつもりでかまわず登っていくと、同じ紙が何枚も、画鋲で立木に貼ってあった。
 美化協力金をとると表明するのは自由だが、支払うか支払わないかも、こちらの意思次第だろう。
 そんな金をとるというなら、きちんと収支報告を示してほしいものだ。

 山頂手前に大津皇子墓という塚がある。
 この区画は、宮内庁の管理になっていて、ものものしい柵に囲まれている。

 そのすぐ先が雄岳のピークだが、守銭奴がいつ飛び出すかわからないので、何も見ないで足早に通過。
 三角点峰の雌岳に向かった。

岩屋峠
祐泉寺近くの三体地蔵

 鞍部には公的な道標や説明板が立っているので、守銭奴のテリトリーから脱出したことがわかる。
 安心してひと登りで、雌岳山頂。
 こちらは広く、ベンチなども整備されていて、葛城山地や大阪平野、奈良盆地などがよく見える。
 一帯に植えられたサザンカは今が盛りだった。

 来た道と反対側に下っていくと、登山道わきのサザンカが、ここもいい具合だ。
 岩屋峠は十字路になっていて、西は大阪府、南は竹之内峠、東は當麻寺方面である。
 峠のすぐ下には石窟があって、石塔がおかれているが、説明板のようなものは見なかった。
 峠には、古い石の道標もあって、「右 下れば當麻寺参詣道」「左すぐ 愛国會修學院」などと彫られていた。

ヒドリガモ遊ぶ(大きな写真)
当麻寺奥院

 西へ下っていくとすぐに、水場。
 その先が祐泉寺で、石垣は古いが、お寺は新しげだった。

 盆地へ出るところにはへら鮒の釣り堀があって、平日だというのに、駐車場は満杯で、お客の車が道路にまであふれ出していた。

 そのすぐ下が鳥谷口古墳。
 山腹に築かれた円墳だが、秩父地方でみられる群集墳とは規模が違う。
 石室も最上部におかれていて、それなりに権力を持つ人の墳墓だということがわかる。

 釣り堀を含め、古墳近くにあるいくつかの池は、二上山から流れ出る水を貯める貯水池なのだろう。
 二上山は、葛城一帯の古代人から、農耕神として崇敬されていたのではないかという気がする。
 養魚池だという大きな池では、ヒドリガモがたくさん泳いでいて、あちこちでバタバタと羽ばたく仕草をしていた。

 當麻寺方向に歩いていくと、道脇の一角に傘堂がある。
 奇妙な堂で、雨宿り以外になんの役に立つのかと思ってしまう。
 せっかくの古いお堂なのだが、壁に書かれた落書きがひどすぎる。

東塔
当麻寺梵鐘

 ここまで来ると、當麻寺の伽藍が見えてくるから、自然にそちらへ向かっていく。
 たいま温泉あとの建物を過ぎると、奥院。

 裏口から入って、受付に行く。
 寒ぼたんや寒桜が咲き、重厚な建物が配置された境内は、まことに立派だった。
 當麻曼陀羅や二十五菩薩来迎像などが展示された宝物殿も、見ごたえがあった。

 本堂に行って内部を拝観。
 ここの本尊は當麻曼陀羅である。
 偶像でなく、芸術が本尊になっているのは、興味深い。
 また、弘法大師肖像のおかれた小部屋の隣には、前鬼・後鬼を従えた堂々たる役の行者像がおかれていた。

 もとの本堂は、現在の金堂らしい。
 こちらには、弥勒の坐像・四天王像などがおかれていた。
 このうち、弥勒と多聞天を除く四天王は白鳳仏で、四天王は明らかにアーリア人系の表情をしていた。

山門(大きな写真)
当麻蹶速塚

 その後、中之坊の庭園を見学したり、抹茶をいただいたりしたあと、ゆっくりと当麻寺駅へ向かった。
 その途中にも、当麻蹶速塚など、見るものが多かった。