原山のバス停前に、東海自然歩道の看板があり、表参道の石柱があるので、まずわかりやすい。
舗装道路を行くのだが、細い道なのに自動車の通りが多いのは、傾斜地だけに自動車でないと動けないからだろう。
今ここは、お茶畑の村だが、かつてはどうやって、暮らしてきたのだろう。
下部のお茶の木はずいぶん霜げているが、大丈夫なのだろうか。
集落を抜けると傾斜がさらに強くなり、広大な茶畑の中のコンクリ道になる。
上部には扇風機が設置されており、お茶畑が霜に当たったようすはない。
お茶畑が切れてスギ林に入ってもコンクリ道が続く。
お茶畑に出ると展望が広がるが、町と低山が見えるだけだ。
トラバースになると地道になるが、相変わらず下草さえない、暗い植林の中を行く。
役行者と彫られた小さな石塔婆を見ると小沢を渡る。
原山集落上部はこの沢から水をとっているようで、コンクリートの貯めからあふれた水が出ている。
ベンチのあるここで、荷物減らしを兼ねて大休止。
その先しばらくは沢沿いを行くが、ここはちょっと荒れている。
ジグザクの急登になると、車道に出て、右に少しで金胎寺の山門をくぐる。
入山料を納めてお参りをすませ、住職さんらしき人に挨拶して、「行場」へ向かう。
平坦な道をしばらく行くと、役行者の石像があってすぐに「行場の辻」という表示がある。
このあたりはスギ混じりの照葉樹林で、アカガシの大木が立派だ。
「順路」という道標に従って下っていく。
最初はなんということもないが、次第に激しく下るようになり、登り返しがきつそうだと後悔しても、もう遅い。
クライムダウンというほどではないものの、沢の高巻き程度のスリリングな下りが続く。
「東の覗」や「胎内潜り」「西の覗」「御光の滝」など、それらしき「行場」が連続して、気が抜けない。
それより、いったいどこまで下るのかが気になるところだが、ずいぶん下ってから登りに転じ、「鐘掛岩」「小鐘掛」などの露岩を攀じるようになると、高度をどんどん稼いで、「行場の辻」に戻った。
お寺に戻って、2時間前とほぼ同じ姿でストーブにあたっていた住職さんにお礼を言って、山頂の伽藍に向かう。
本堂と行者堂は江戸時代の創建、多宝塔は鎌倉時代のものだから、たいへん貴重だと思うのだが、いかんせん境内は荒れていて、本堂の屋根は錆びたなまこ板で、土壁も剥げかけていた。
修験寺院だから、檀家が少ないのだろうか。
北への尾根を下って行くと、林道に出る。
一等三角点のピークの展望を期待して寄ってみたが、期待したほどでもなかった。
林道を戻り、東海自然歩道の道標に従って、右の分岐を入る。
しばらく下ると観音山休憩所で、あずまやがあったので小休止。
ここからは、自動車が通れるほど十分に広い登山道を下っていく。
車道に出ると、こちら宇治田原町側にお茶畑は多くなく、水田地帯だ。
稲刈りの終わった田んぼには、巨大な柿屋が建てられていて、ちょうど古老柿を取り込んでいるお宅もあった。
道路わきでは、古老柿用にしては小さすぎる感じの柿が、まさに鈴なりになっていた。
収穫を目的にしているようには見えない柿だから、おそらく消毒(農薬の散布)はしていないだろうに、どうしてヘタムシにやられないのだろうか。
集落に出てからは「維中前」の道標を見ながら行くのだが、道標の向きがかなりいい加減で、何度も道を間違えた。
おまけに維中前バス停には、それらしき表示もなく、バス停前を行ったり来たりしてようやくバスの停まる場所を見つけることができた。
バスがほどなく来たのはよいが、行き先表示が「維中前」になったままだ。
運転手氏に「このバスはどこ行きですか」と尋ねたら、「今忙しい」と言って返事をしてくれなかった。
とりあえずそのバスに乗り込んだら、遅れているので急いでいるらしく、事故を起こすんじゃないかと思うほどの猛スピードで走りだした。
乗合バスにも、シートベルトを設置してほしいと思いつつ、手すりを握りしめて京阪宇治駅まで行った。
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