ナラ枯れの森
− 真夏の白倉岳 −

【年月日】

2010年8月4日
【同行者】 単独
【タイム】

村井(9:41)−松本地蔵(00:00)−白倉岳(11:46)
−中岳(10:00)−南岳(12:20)−栃生(13:20)
−朽木学校前(14:56)

【地形図】 北小松、久多 ルート地図

チチタケが出ていた
ミズナラ無残

 湖西線の車窓からは、比良連峰の山腹に赤茶けたナラ枯れが湿疹のように広がっていくのがよく見えた。
 カシナガの被害は、日本海側がほとんどだと言われていたが、江若国境の分水嶺は、低いところでは200メートル強しかないから、ほとんど衝立にはなっていないのだろう。
 事実、前日には、京都市東山の山麓でナラ枯れを目撃した。ここを起点として、東日本にカシナガが蔓延するのは、時間の問題だろう。

 安曇川駅からの江若バスの時刻が、ネットで調べたのとは全く違っており、8時2分に出るという心づもりだった細川行きバスは、11時半まで出ないのだった。
 相変わらず蒸し暑いし、モチベーションが下がるが、せっかくここまで来たのだからと、8時35分発の朽木学校行きバスに乗る。

 安曇川に沿う国道のまわりは、広大な水田地帯で、ちょうど出穂したところだった。
 さすが近江らしい風景で、古代以来、ここが権力者たちにとってキーストーンとなる地だったことが納得できる。
 田んぼを見ると、草のほとんど生えていないところがあるかと思えば、コナギが密生して、これでは稲刈りが大変だろうと思われるところもあった。
 これは、販売用と飯米用の違いなのだろうか。

 朽木学校前に着いてみると、出町柳行きのバスが9時35分に出るとあったので、それを待つことにした。
 このバスは、予定通り村井バス停で降りたのだが、帰りのことを考えると、栃生から登って村井に下山しほうがよかった。

 鮎釣りの人々が竿を振る安曇川を渡るが、道標が見当たらないので、地形図にあるとおり、お寺のわきから登ろうとしていると、お寺の人が、正式な登山道はもう少し上流側だけどここから登っても同じだというので、廃林道のような広い道を登ることにした。

 登り始めてすぐに、道ばたにあった廃屋から大きな雄鹿が飛び出した。
 交通の便のよくない土地だが、建物に鹿が住んでいるとは、驚きだ。

 周囲は大きく育ったスギ林だが、鹿よけのために荷造りテープが巻いてある。
 まだ新しいので、近年になってシカ対策を始めたのかと思われる。

 ずいぶん登って、登山道と合流するところが松本地蔵で、戸閉になったお堂がある。
 ここからは、登山道歩きとなる。

 周囲はほぼずっとスギ林だったが、このあたりからアカマツ混じりの二次林となる。
 高度を上げるに従って、ミズナラの壮年木が出てくるが、ほとんど枯れ木ばかりで、枯幹には、硬いきのこがびっしりと付いていた。

 カシナガによる枯れは、その年に枯れたものは、赤茶色の葉枯れが目立つのだが、前年以前に枯れた木は、葉がないので、近づかないかぎり、それとわからないのである。
 見たところ枯れた木は、ミズナラの7割以上を占めているようだった。
 山はずいぶん乾いており、ベニタケ科のきのこやチチタケが見られる程度だった。

 大彦峠の分岐を分けるあたりから、スギの大木がちらほら見えるようになる。
 ほんとはもっとよく見て回りたかったのだが、この山にはマムシがすこぶる多いので、落ち葉の重なったようなところを歩くのに、とても気を使った。
 ちなみに、静かに歩いていると、マムシの這うかすかな音が聞こえる。
 マムシは、踏みそうになる前に気づいた方が、精神衛生上よいと思う。

 烏帽子岳を巻き、烏帽子峠から登り返して、小ピークを登降していくと、白倉岳三角点。
 ここにも、つがいのマムシがいた。
 展望はなし。

スギ巨木1
スギ巨木2(大きな写真)

 ふたたび下って、登り返すと中岳で、このコース最大の巨杉に出会う。
 主幹のすぐ上で巨大な幹が一旦垂れ下がるようにして立ち上がっている。
 どう見てもアンバランスで、奇怪な樹姿だ。
 昔の人が見たら、何か悪いことをした人が妖怪化されて、何百年もこのように苦しい姿で立ち続けているのではないかと思ったかもしれない。

南岳付近のブナ林
丸いマスタケ(大きな写真)

 中岳の次のピークは南岳だが、ここはブナ林で、100年くらいかと見えるブナの壮年木が林立していた。
 このあたりなら、初冬にでも来ればいいものに出会えるかもしれない。

 南岳から栃生へは、ぐんぐん高度を下げていく。
 あたりには、可食きのことしては、マスタケ・ナラタケモドキなどが出ていた。

 すぐに植林地になり、標高650メートル付近で道型が不鮮明になるが、そのまま尾根を下っていけばよい。
 樹間から人家が見えるあたりまで来ると、数頭の鹿が逃げまどうのが見えた。

 栃生からの交通機関で適当なのがないので、やむなく朽木学校前まで歩いたが、山の中よりはるかに喉が乾いた。