天気が下り坂とのことなので、小さな山に行くことにした。
親都神社の北側に、ちょっとした休憩施設と広い駐車場があったので、ここに駐車。
地元によって、よく整備された登山道が、休憩施設の一角から、登っていた。
登りは、大天狗に行く東登山道をとった。
はじめは竹やぶ。
そして、雑木混じりのスギの植林地。
種々の見どころに行く枝道がいくつもあり、その一つひとつに、ていねいに道標が立てられていて、地元によって、とても大切に登られている山なのだと感じた。
この山全体が、観音霊場になっているらしく、オーバーハングした岩場の随所に、石仏が鎮座しており、「二十四番」などの表示が立てられていた。
最初に見た「一番」の観音像のわきには、「岩登り禁止」の立て札が立てられていたが、カラビナのかかったボルトがたくさん打ってあった。
霊場とされている区域の岩を傷つける行為が許されるものかどうか、歴史や信仰に関するちょっとした想像力というか、知識があれば、わかりそうなものだが。
ひと登りで、尾根上となり、経塚。
ここから、鎖のかかった岩尾根を急登だが、すぐに大天狗の三角点だった。
曇っていたので、遠くはあまり見えなかったが、展望はとてもよく、360度が見渡せた。
東から南、西にかけては、おおむね知った山ばかりだが、北側は、どこがどこだが、わからなかった。
先日登った栂ノ頭も見えているはずだが、判別はできなかった。
ところどころにアキノキリンソウが咲いており、ナツハゼの葉が、早くも紅葉していた。
ヤブレガサの葉が、いよいよ、その名にふさわしい状態に枯れかかっているのも、もの悲しかった。
今年の秋もそろそろ、佳境にさしかかっているのかな、と感じた。
カラ類のズィーッという地鳴きが、そこここで聞こえたが、さえずりはほとんどなかった。
岩尾根を下り、雑木の中を小天狗に向かう。
御城の平という平坦地は、いかにも、戦国時代の砦あとらしいところだが、「西国・秩父観音群」の石仏群が、建ち並んでおられた。
嵩山で秩父に出会うとは、意外だった。
血で血を洗う抗争の時代が過去となった平和な江戸時代になると、この山城は、地域の信仰と遊歩の場となったらしい。
この小空間を一回りしただけで、日本の主たる観音霊場を参詣できるようにするとは、なかなか容易ならざる企てだが、はたして、どのような人びとが発起し、どのようにして実現したものなのだろうか。
大天狗よりやや標高が低い小天狗も、好展望のピーク。
すぐ下に、不動岩の岩峰がそびえており、ハイカーの姿が見えた。
サラシナショウマの咲く鞍部から、一段とよく整備された表登山道を下山。
東登山道より雑木が多いので、全体的に明るい感じがする。
駐車場のある休憩施設に下りつくと、すべり台で叫び声をあげる幼児のそばで、若い母親が、所在なげに携帯電話をいじくっていた。
登山道では早くも、ムラサキシメジが出はじめていた。