小鹿野街歩き
【年月日】 |
2025年4月10日 |
【タイム】 |
町営駐車場(12:34)-十輪寺(12:39)-不動堂(13:15)
-八坂神社(13:29)-小鹿神社旧本殿(13:46)-巨香郷碑(13:50)
-薬師堂(14:06)-町営駐車場(14:24)
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【地形図】 |
長又 皆野 ルート地図 (マウスホイールで拡大・縮小可)
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町営駐車場から出発。
警備詰所という小さな建物がある。
消防団の詰所として使われていたとのこと。
旧中田健三郎氏宅はわからなかった。
十輪寺に立ち寄り。
荒川水系渓流保存会の先駆者の墓地に手を合わせた。
常木山十輪寺という、本堂の山号額は、宮下米三郎と菊池群二郎の二人が明治43年5月に奉納している。
なるほど。
境内の石仏を見る。
カルラと青面金剛、あと馬頭観音らしき石仏が並ぶ。
カルラの石仏を見たのは初めてだ。
上一の田隝唯一あともわからなかった。
旧寿旅館の宮沢賢治歌碑を見たのは初めてだった。
何度も訪れたことのある旅館だが、見たいところがたくさんだったので、立ち寄らなかった。
路地を南に入ると、愛宕神社。
ここの柵柱も宮下米三郎が寄進している。
明治後半頃に作られたはずだが、寄進者に知った人はいなかった。
その奥、鈴木眼科近くに不動堂。
なんの説明もないのだが、非常に精巧な彫刻に飾られた、立派な建物だった。
お堂近くには、不動の座像石仏もあって、これもよい作品だった。
常盤屋の横を通って、通りへ戻る。
春日町の八坂神社は、新しい建物。
この隣が明治時代の小鹿野分署だという。
通りをそのまま行って、役場裏へ。
中学校との境に、忠魂碑。
希典書だが、よくある書体だった。
その一画に、小鹿神社旧本殿。
小鹿神社の由来はやや複雑だ。
これが事実なのかどうかもよくわからないのだが、下小鹿野の小鹿神社をここへ勧請したのが最初だという。
この時点で、小鹿野村には、春日町下の小鹿神社と腰の根の諏訪神社の二社が主要な神社として存在した。
明治17年当時もこの状態だったのだが、明治末に、地震と水害により被害を受けたため、諏訪神社境内に移転。
諏訪神社は新来の小鹿神社に合祀されたというのだが、これだと小鹿神社が諏訪神社を乗っ取ったということになるのだが、果たしてそうなのか。
農協スタンドの反対側に、文久三年の銘のある馬頭観音。
ほっそりした体躯で、誰かモデルがいそうだ。
その先に、巨香郷之碑と彫られた大きな石碑がある。
あれはいったい何だろうと思っていたが、和名抄に巨香郷という地名が載っているというということを誇る碑で、町の有力者が建てたものだった。
街へ戻って、薬師堂へ。
ここの薬師様は、江戸時代以来、町医者代わりに活躍してきたのだろう。
説明書きには、本尊を納める厨子があると書かれているが、本尊がどんなのかは、書かれていない。
知らなかったところが多く、とても面白かった。
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