旧巣掛峠・小鹿野街歩き

【年月日】

2025年2月12日
【タイム】

巣掛トンネル北(11:53)−MTB−巣掛バス停(11:56-11:58)
−旧巣掛峠(12:24-13:04)−新井神社(13:22)−巣掛新井口(13:31)
−巣掛トンネル北(13:49)

【地形図】 長又 皆野 ルート地図 (マウスホイールで拡大・縮小可 青線は自転車走行)

 巣掛トンネルの吉田町側出口付近に軽トラをとめ、自転車でダウンヒル。
 巣掛耕地まで下って、旧峠道へ。

旧巣掛峠
新井神社

 道幅は広く、今でも荷車が通れるほどにしっかりしていた。
 強いて言えば、倒木が目立つが、問題になるほどではない。

 秩父セメントのベルトコンベアの手前で、分岐になるが、ここは登っていく右の道をとる。

 巣掛峠は切り通し状になっていた。
 これは、近代以降の工事だっただろう。
 明治17年にはもっと自然な道だったと思われる。

 基幹道だったはずだから、車(荷車や人力車)も繁に通っただろう。
 にもかかわらず、いま、石造物がなにもない。
 なかったはずはないから、一台を探してみたが、やはりない。

 おそらく、どこかへ移されたのだろう。

 ここで大休止。

石地蔵
小鹿神社

 下っていくとすぐに、四季の道へと続く道。
 ここは何度か、来たことがある。
 ここからしばらく、昔の道でないと思う。

 旧県道に出て少しで、元峠道だったと思しき道路。
 途中に新井神社があるので、お参りしていった。

 よくありがちな由緒書きがなく、どうしてなのかなと思う。
 大正元年測量の古地図には峠の頂上付近に神社マークがあり、新井には神社マークがないから、峠にあった社をここに移したのかもしれない。

 小鹿野の街道から巣掛峠への分岐にも、なにもなし。

 古地図には、巣掛トンネル南口付近の和田耕地から登り始めて、旧県道巣掛峠を越え、巣掛トンネル北口付近におりる道が記載されている。
 旧巣掛峠とは別の道で、名称は不明。

 秩父困民党は、和田山で山林集会を開いたと記録にあるが、和田山がどこかは、はっきりしていない。
 古地図にはこの峠近くに寺院記号らしき記載がある。

 じつは山林集会については、具体的な場所等は全くわかっていないのだが、人集めをする以上、山の中のヤブの中で行われたはずはなく、ちょっとしたお堂や社が会場だったのではないかと思っている。
 たとえば、蓑山集会であれば、今の蓑山神社のあたりだ。

 和田山集会は、この寺院記号のあたりで行われたのではなかろうか。

 トンネルを通って軽トラのところに戻り、小鹿神社に立ち寄った。
 バイパスのところにあった「秩父困民党結集の森」という看板は撤去され、今はバイク神社として賑わっている。

 なんだかずいぶん、立派になったと感じた。
 まぁ、けっこうなことではある。