巣掛トンネルの吉田町側出口付近に軽トラをとめ、自転車でダウンヒル。
道幅は広く、今でも荷車が通れるほどにしっかりしていた。
秩父セメントのベルトコンベアの手前で、分岐になるが、ここは登っていく右の道をとる。
巣掛峠は切り通し状になっていた。
基幹道だったはずだから、車(荷車や人力車)も繁に通っただろう。
おそらく、どこかへ移されたのだろう。
ここで大休止。
下っていくとすぐに、四季の道へと続く道。
旧県道に出て少しで、元峠道だったと思しき道路。
よくありがちな由緒書きがなく、どうしてなのかなと思う。
小鹿野の街道から巣掛峠への分岐にも、なにもなし。
古地図には、巣掛トンネル南口付近の和田耕地から登り始めて、旧県道巣掛峠を越え、巣掛トンネル北口付近におりる道が記載されている。
秩父困民党は、和田山で山林集会を開いたと記録にあるが、和田山がどこかは、はっきりしていない。
じつは山林集会については、具体的な場所等は全くわかっていないのだが、人集めをする以上、山の中のヤブの中で行われたはずはなく、ちょっとしたお堂や社が会場だったのではないかと思っている。
和田山集会は、この寺院記号のあたりで行われたのではなかろうか。
トンネルを通って軽トラのところに戻り、小鹿神社に立ち寄った。
なんだかずいぶん、立派になったと感じた。
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