粟野への道
− 室久保から −
【年月日】 |
2020年6月18日 |
【同行者】 |
単独 |
【タイム】 |
阿熊観光トイレ(10:42)−粟野山(12:19-12:40)−粟野(13:07)
−万松寺前(14:27-14:30)−MTB−阿熊観光トイレ(14:57)
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【地形図】 |
長又 皆野 ルート地図 (マウスホイールで拡大・縮小可 青線は自転車走行)
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自転車を万松寺前にデポして、阿熊へ向かう。
ゆるい登りだが、苦しくなるほどではなかった。
観光トイレの広い駐車場から少し戻って、岩崎神社の手前から山道に入る。
これは多分、昔の道だろう。
登っていくとすぐにバリケードで囲まれた畑のあぜ道となる。
人家の間を抜けて、すぐに室久保で車道に出る。
すぐに新井駒吉の家への分岐。
新井駒吉は、秩父困民党の銃砲隊長で、先年まで建っていた家には、田代栄助を始め、多くの困民党幹部が訪れている。
粟野への道標に導かれて山道に入る。
ネットには「この道標は粟野山への道標でない」などという書き込みが散見されるが、道標といえばすべてハイカー向きに建てられているわけではない。
これは、粟野集落への道標である。
登っていくと、やはりバリケードで囲まれた、山の果樹園。
ずっと以前には桑畑だったのだろうが、果樹栽培でここで暮らす道を切り開こうとされたのだろう。
まだしっかり管理されているから、頑張っておられる最中なのだろう。
しばしで不詳な分岐。
直進すると道が消えそうなので、ここは左折して、トラバースで高度をあげていく。
道は明瞭で、そこそこ歩かれている様子だった。
少し傾斜が出てきて、峠状のところ。
ここは金岳の分岐である。
粟野へはこれを越えて、一旦沢に降りる。
急登を登り返せば次の峠で、これを越えれば粟野だと思われるが、大休止の場所としては、もう少し人気のないところが望ましいので、675メートル三角点ピークに行こうと思って北上する。
明瞭な巻き道が西側についていたので、そちらに入り込んで、失敗した。
こういうミスを何度仕出かしたかわからないのだが、ちっとも学習していない。
ひどく急な斜面をずり登って、ようやく三角点。「粟野山」の札が立木に縛ってあった。
秩父事件の際に武装蜂起の日時を決定した集会が行われた「粟野山」がこの三角点ピークだったかどうか、確たることは判明していない。
粟野集落のほうが集まりやすいが、人家のあるところでは、人目につきすぎて、激しい議論はやりにくかっただろうから、三角点あたりがその舞台だった可能性は大いにあると思われる。
休んだのち、粟野へ下る。
真南への尾根は急なので、やや南東へ下って南への尾根にトラバースする。
道ははっきりしないが、粟野へは凹状のところを下る不鮮明な道形を下る。
粟野まで下ると道路があって、以前とはずいぶん、様変わりしていた。
井上へ下る道がどこなのか、よくわからなくて、ちょっと行ったり来たりした。
現住されているかどうかはわからないが、畑の作物はよくできており、屋敷の建物も手入れされていた。
以前の道をトレースしようと何度か試みたが、かなり激しく廃道化しており、結局、万松寺近くまで林道を歩くことになった。
旧道は地形図に破線路として残っているので、もう少し踏査してみたい。
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