岩尾根を歩く
− 御高金山から柿沢峠 −

【年月日】

2020年5月15日
【同行者】 単独
【タイム】

新岡部線10号鉄塔入口(9:49)−新岡部線10号鉄塔(10:10-10:37)
−滑落地点(10:50-11:10)−展望岩(11:20-11:26)−柿沢峠(12:20-12:25)
−自転車デポ地点(12:54)−MTB−新岡部線10号鉄塔入口(12:59)

【地形図】 長又 万場 ルート地図(マウスホイールで拡大・縮小可)

 女形耕地には自転車をデポできそうなスペースがなかったので、耕地のとば口あたりに自転車をロックして、10号鉄塔入口に軽トラをとめた。

 鉄塔に着いたところで、早くも大休止。
 岩を絡む緑がどんどん濃くなる。

 御高金山は越えていけないので、この日は最初から東側を巻く。
 薄いながらも踏みあとあり。

御高金山(大きな写真)
展望岩の手前(大きな写真)

 時間はかかるが危険なところもなく、順調に巻いて、鞍部のすぐ手前まで来た。
 ここでやや外傾した青っぽい岩場。
 さほど傾斜はないからスリップしないと思うが、手がかりはない。

 どうしようかと思案して、周囲を見ると、3,4メートル下に巻き道らしき踏みあとが見えた。
 なら巻き道を行けばいいのだが、ほんの少し下るのが面倒なため、トラバースしようとしたら、スリップした。

 岩と立木に衝突しながら落下しつつ、こういう経験は初めてだなあと考えた。
 早く止まらないとヤバいなあとも考えた。
 手に触れるものに片端からしがみつこうとしていたら、どうにか止まった。
 滑落したのは7,8メートルくらいだっった。

 止まってからまず、怪我の状況を調べた。
 痛くはあるが、幸いなことに骨折はしていなかった。
 これは大きかった。

展望岩から振り返る(大きな写真)
柿沢峠(大きな写真)

 とりあえず鞍部の安定したところまで行き、ザックを下ろした。
 カメラも見たところ大丈夫そうだった。
 頭から少し出血していたが、大したことはなさそうだった。
 痛みのあるところをメモしようとしたら、ウェストポーチがなくなっていた。
 いつも頭に巻いているタオルもなかった。

 ポーチがないと困るので、滑落地点に引き返し、しばらく登ったり下ったりしてポーチを探した。
 タオルは落ちてすぐのところに引っかかっていたが、ポーチはなかなか見つからなかった。
 ずいぶん探したら、止まったところよりさらに3メートルくらい下に落ちているのが見つかった。

 のどがひどく乾いたので、お茶を飲み、先へ進む。
 すぐに次の岩峰で、ナイフリッジだが、左から巻ける。
 その先の岩場を西側から巻こうとしたが、巻けそうにないので東側から行くとなんとか巻けて、岩上に立つことができた。
 ここからは、御高金山がよく見えた。

 その先は、スギ林の平凡な尾根が続く。
 甘木山はネットで山名を知ったのだが、まったく特徴のないピーク。

 急登・急降下もなく、淡々と歩いて柿沢峠。
 小さな石祠が峠の位置を示す。

 祠には、昭和四十年三月吉日と彫られており、さほど古いものではない。
 奉納者は、柳原辰雄・新井伴次とあった。

石窟(大きな写真)
馬頭尊(大きな写真)

 女形側への峠道はほぼ消えてしまっていたが、峠からすぐにお茶畑のあとになる。
 茶畑を下っていくと、山畑あと。
 壊れてしまっているが、網で畑を囲ってあるから、数年前まではここで耕作が行われていたのだろう。

 涸れた沢に降りたあたりから峠道がはっきりしてくる。
 しっかりした小屋掛けの残る山畑までは、モノレールも設置されていた。

 石窟というほどでもない岩陰に、榛名神社や古峯神社の御札多数が納められていた。
 女形耕地の人々は、この岩に、なんらかの厄除け霊力を認めていたのだろう。

二十二夜塔・二十三夜塔(大きな写真)
太子塔(大きな写真)

 ほどなく車道に出る。
 女形は、女形沢最奥の耕地だが、隣の小川や沢戸と同じく、耕作地は少ないが、人家はとても多い。

 人家のわきに、二十二夜塔と二十三夜塔。
 男日待ちと女日待ちの供養塔なのだろう。
 大きな太子塔も建てられていた。
 職人仕事で暮らしを立てていた人がいたことがわかる。

 自転車デポ地点まではすぐだった。