観音山から日尾城址3
【年月日】 |
2018年11月25日 |
【同行者】 |
全部で8名 |
【タイム】 |
栗尾バス停(8:21)−仁王門(8:56-9:07)−観音院(9:13-9:23)−観音山(10:01-10:31)
−日尾城址(11:01-11:11)−馬上バス停(11:45)
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【地形図】 |
長又 ルート地図
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5時過ぎに家を出て、職場−駅−バス−バス乗り換え−停留所と回り道して、栗尾バス停に8時過ぎに到着。
ちょっとしたアクシデントもあったが、特に問題なく歩きだすことができた。
岩殿沢へは自動車ではときどき通る道だが、歩くのは初めてだったので、広い牧場があったり、神変大菩薩の祠のようなものがあったりと、いろいろと発見があった。
30分少々で仁王門。
31番の風景は、いつ見ても秀逸だ。
商売根性がついつい出てしまい、いろいろ説明などしてしまって、同行者は辟易したかもしれない。
東奥の院を横目で見て、一気に観音山へ。
先日来たときには小雨模様だったのだが、今日は快晴無風だった。
御荷鉾山・二子山・毘沙門山・両神山・三宝山・甲武信ヶ岳・雁坂嶺・和名倉山などが見える。
大休止ののち、分岐まで戻り、日尾城址へ。
ここでも、商売根性が爆発し、日尾城攻防戦について、若干の妄想を交えた。
日尾城を攻撃したのは、山県昌景だという説がある。
いうまでもなく、信玄の側近で、武名もそれなりに高い猛将のはずである。
日尾城は、上武国境をにらんだ後北条の要衝で、物見を兼ねていたと考えられるが、城の主だった諏訪部遠江守定勝は酒好きで武田との合戦当日も飲んでいたと、記されている。
酔っ払って役に立たない遠江守に代わって、奥方が采配を振るって、武田の軍勢を撃退したというが、秩父の人が好きそうなオチである。
まことに不名誉というか、バカバカしいほど間が抜けているが、なんとなく、リアリティも感じさせる逸話だ。
とはいえ、三方ヶ原の戦いで徳川家康を敗走させたほどの山県昌景が、酔っぱらいの奥さんに撃退されて逃げたというのは、チト楽しすぎる。
日尾城址から少し下ると牛首峠。
馬上のバス停まで、あまりかからなかった。
バスが来るまで、1時間と少々あったので、毘沙門水を汲みに行き、コーヒーを淹れて飲み終わってもまだ、少し時間があった。
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