日野沢耕地巡り2
− 重木・小松・門平 −
【年月日】 |
2018年4月29日 |
【同行者】 |
全部で4人 |
【タイム】 |
重木(10:39)−小松(11:37-12:04)−門平(12:57)
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【地形図】 |
鬼石 皆野 ルート地図
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5月のフィールドワークの下見として、重木から門平まで歩いた。
皆野駅前からタクシーに乗り、まずは重木へ。
耕地の入口に至る車道は恐ろしく急で、運転手さんはここは勢いをつけなければ登れないと言っていた。
重木は天上の楽園というべきのどかなところだが、人の姿は見えず、畑の多くに、草が生い茂っていた。
まずは重木全体を見渡す村上泰治家へ。
ここはやはり重木の中心である。
お宅の裏手の畑あとにはウドが大きくなっていた。
ゆるやかに登れば村上家の墓地で、中央に泰治の碑が建つ。
彼の墓石は、文字のない自然石だった。
続いて、中庭蘭渓家の墓地へ。
蘭渓は、自分の家の向かいで生まれ、下日野沢へ来た人だ。
小松へはトラバースで行くのだが、気がついたらいつの間にか、尾根の上を歩いていた。
南西への尾根にある山畑で畑仕事をしていたご老人にきいて、ルートミスに気がついた。
山道をしばらく歩かねばならない畑を作っておられるなんて、驚きとともに尊敬してしまう。
トラバースで下り着く小松に現住されているのは、ご老人ひとりだけらしい。
困民党の牙城の一角をなした耕地が寂れているのは嘆かわしいが、どうしようもない。
重木や小松から皆野市街地まで、自動車なら20〜30分程度だろう。
いささか不便であるが住めない距離ではない。
それなのに、という思いがある。
桜花堂前で大休止。
お婆さんになっても、新井チヨは元気な人だったに違いない。
お堂は今、道の外れにあって、茅屋と化しているが、周りに密生したシャガが満開だった。
車道を下っていくと奈良尾。
ここは大きな耕地だが、やはり人影はない。
門平へは、すぐ上の車道を登り、道標に従って山道に入る。
この道も今は概ねスギ林で、トラバース道である。
門平から奈良尾・小松・重木・藤原と続くこのトラバース道が、日野沢のメインルートなのだろう。
前方が明るくなったと思うと、門平を一望できるところに出て、宮川津盛の墓地に着いた。
宮川津盛は秩父事件当時56歳だから、幹部の中ではほぼ最高齢に近く、老成した人物という印象がある。
おそらく、印象通りの人だったのだろう。
高札場の残る東門平のバス停はすぐだったが、バスの待ち時間は約2時間だった。
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