謎の山岳寺院
− 岩谷堂から十二天社 −

【年月日】

2018年2月20日
【同行者】 単独
【タイム】

百体観音堂駐車場(9:19)−岩谷堂(10:51)−陣見山直下(11:02-11:35)
−御嶽山石塔(11:50)−十二天社(12:19)−百体観音堂駐車場(13:12)

【地形図】 寄居 鬼石 藤岡 本庄 ルート地図

 先日と同じく、百体観音堂下の駐車場から歩き出す。
 薄く霞がかかっているが、風もなくいい天気だった。

 しばらく林道歩き。
 道の凍結もさほどでない。

 岩谷堂の駐車場はそこそこ広い。
 もちろんこの日に自動車は一台もとまっていなかった。
 ここから山道になる。

道標も兼ねている(大きな写真)
かなり古い(大きな写真)

 道沿いに、観音や地蔵の石仏がたくさん並べてある。
 戒名が彫り込んであるので、これは墓石なのだろうか。
 年号を見ると、18世紀のものが多く、中には延宝年間のものも何体かあった。

三面六臂(大きな写真)
講中で供養(大きな写真)

 墓石でない単なる石仏も多い。
 「岩谷道」と彫ってあるのは、参道の護り仏として供養されたものか。
 女性が連名で供養したものがあるかと思えば、幼くして亡くなった童女の供養らしき石仏もあった。

女性の連名による供養(大きな写真)
子どもの墓石か(大きな写真)

 沢の上に不動様の石像があったので、ここが岩谷堂かと思ったが、そうではなく、湧き水が出ているのだった。
 ここが最後の水場だった。

 傾斜が出てきて、山門跡という小さな表示板を見ると、その先すぐに、何段もの石垣の築かれた伽藍跡に達する。
 今はスギ林に埋もれているが、建物がいくつも建っていたことがうかがえ、往時はさぞ賑わっていたと想像された。
 石垣にも石仏がたくさん立っていて、あたかも人間の魂がこちらを見つめているかのような錯覚さえ覚えた。

伽藍あと(大きな写真)
伽藍あとにも石仏(大きな写真)

 本堂跡と思しき広場には、最近建てられた石仏がたくさんあって、祭礼の際に腰掛けとして使われるらしき丸太にビニールがかけられてあった。
 左手の岩には浅い洞窟があって、その中にもたくさんの石仏が納められてあった。
 無数の古い石仏が醸し出す雰囲気に、圧倒される思いだった。

 我に返って、ここから登山になる。
 ここはすでに陣見山の直下で、過日通った分岐まではひと登りだった。
 陣見山下の送電鉄塔のところが暖かい日だまりだったので、大休止にした。

 陣見山からこの日は、北に向かう。
 林道を二度渡って北尾根から北東尾根に乗り換える。
 410メートルピークに石の小祠あり。

御嶽大神石塔(大きな写真)
十二天社(大きな写真)

 御嶽大神石碑分岐とあったので、ここは御嶽山方面に寄り道してみた。
 さほど下ることなく、「三笠山神社・御嶽大神・八海山神社」と彫られた石塔に達した。
 傍らには、「木食普寛行者」「木食一心行者」など、御嶽信仰のスターたちの石塔も建っていた。
 里からここへ登ってくる道もあったので、いつかこの道もトレースしたい。

 北東尾根に戻るとすぐに、十二天社。
 十二天信仰は里山でときどき見る。
 十二天は災厄を払う仏教神だが、祇園信仰と同じく、神仏混淆された状態で民衆生活の中に息づいていたらしい。

 境内には拝殿や狛犬が配置されてあり、一見すると普通の神社だが、一画に鐘楼がある。
 このあたりを見ると、十二天信仰そのものが里修験によってリードされていたのではないかと想像される。

十二天社の鐘楼(大きな写真)
寺戸の樫(大きな写真)

 ここからは、基本的に石段下りとなる。
 下りきった右手にはゴルフ場があって、数人の人々が遊んでいた。

 車道を下っていくと寺戸の樫のわきを通る。
 姥樫に劣らず立派な木で、しばし立ち止まって樫の鑑賞。

 百体観音の駐車場まで、ため池のわきを通ってすぐだった。