早春の笹尾根

−井戸から三国山・浅間峠−

【年月日】

2013年2月28日
【同行者】 Uさん
【タイム】

 井戸(8:50)−軍刀利神社(9:27)−三国山(10:44-10:55)−元宮(11:09-11:13)
 −熊倉山(11:30-11:37)−浅間峠(12:33-13:04)−上川乗(13:46)

【地形図】 上野原、猪丸 五日市 与瀬 ルート地図

 三頭山から浅間峠の間と、三国山と底沢峠の間を歩いたことがあるのに、浅間峠と三国山との間が空白なのも気になるので、その間をつなぐショートコースに山梨県側から登ってみた。

 上野原駅前の狭いスペースでの、バスの切り返し技術は、いつ見ても鮮やかで、見応えがある。
 平日でオフシーズンだから、ハイカーはほぼ皆無である。
 臨時バスが出なくても、五台のバスがほぼ同時に出ていく。

クスノキかと思われる大木(大きな写真)
青面金剛

 終点の井戸は、旧棡原村に含まれる集落である。
 『短命化が始まった』などの本をみると、棡原村はかつて、「長寿村」として脚光を浴びたことがある。

 当時、「長寿」の要因としてあげられていたのは、雑穀や芋類・菜類を多食する、この村の「食」だった。
 傾斜地が多く水田を築くことが不可能なため、コメを自給することができない地域は、日本列島の至るところに存在する。
 列島の「農」と「食」の実態を俯瞰したとき、コメの自給が困難な地域の方が、むしろごく普通だったのではないかとさえ、感じられる。

 だから、麦を含む雑穀・芋類・菜類を多食するのは、列島の「食」の基本形ともいえ、それがことさら特異視されたのは、そのとき既に基本形が崩壊していたことを示す事態なのだったからだろう。

 今の棡原の風景は、ありふれた山村のたたずまいだった。
 急斜面の畑には獣害よけのバリケードがはりめぐらされており、枯れ姿の大根や白菜が立っているかと思えば、網をかけて防寒した葉ものが育っていたりした。
 空は秩父地方のように狭くはなく、南側に広く開けており、富士山がよく見えていた。

大サイカチ(大きな写真)
軍刀利神社の柄杓

 サイカチの木の手前でまず、人家わきの立派なクスノキらしき常緑樹に目を引かれた。
 屋敷も立派だが、現在も住んでおられるのだろうか。

 歩き始めた時点で、チェンソーの音が聞こえていたが、それがサイカチを切っている音だったとは意外だった。

 伐採作業を見守っていた方に聞くと、このサイカチは、大水に遭ったため樹勢が弱くなって枝が枯れ始め、幹がひどく傾いて、軍刀利神社の鳥居にぶつかりそうなので、枯れた部分を取り除いているのだということだった。
 通りすがりのものが失礼とは思ったが、伐られる前の姿を撮影させてもらった。

 急な石段を登っていくと、軍刀利神社の本殿に着く。
 詰め所の幕と水飲み用の柄杓に、「奉納 白籏史朗」と書いてあった。

軍刀利神社本殿
巨カツラ1(大きな写真)

 本殿前で上着を脱ぎ、奥社に向かっていくと、ずいぶん手前から巨大なカツラが望まれる。
 カツラが近くなると、その巨大さには、驚くばかりだ。
 秩父にも大きなカツラがあり、根周りだけなら県内最大だといわれているが、そのカツラよりさらに大きいのではないかと思われる。

 ここからしばし沢沿いを行き、男坂と女坂の分岐から、女坂の斜面をトラバース気味に登っていく。
 ずっとスギ林だが、急なところは全くなく、ジグザグに少しずつ高度を上げていく。
 石楯尾神社から登ってくる尾根道に出ると、傾斜はなくなり、ほぼ平坦な道となる。
 道の両側には、明らかに植栽されたとおぼしきヤマザクラの大木が並んでいるので、花の時期には美しいだろう。

巨カツラ2(大きな写真)
三国山から富士山(大きな写真)

 樹間から見え隠れしていた富士山は、三国山に登ると全貌をあらわす。
 富士山だけでなく、丹沢・道志・権現山や大菩薩連嶺、間ノ岳・農鳥岳なども一望できた。

 春霞がかかってはいたが、ほぼ快晴といえるいい天気だった。
 浅間峠へは、小さな登り下りを繰り返しながら尾根を行く。

雪の残る登山道(大きな写真)
浅間峠の大杉(大きな写真)

 最初のピークには軍刀利神社の元社がある。
 真新しいコンクリートの覆屋の中に、古い石祠が祀られていた。
 ここの鳥居は銀色なので、金属製かと思ったら、丸太に銀色の塗料を塗ってあるのだった。

 時間に余裕があると思っていたので、尾根から北側に雪のついた道をのんびり歩く。
 東京側はずっと雑木林で、ブナ・ミズナラ・カエデ類などの壮年林で、なかなか美しい。
 山梨側は、ほぼずっと植林地だ。

大正14年の道標
嘉永6年の馬頭尊石塔

 熊倉山でまた少し休み、そのまま浅間峠まで急がずに行った。
 踏まれてクラストした部分も多少あったが、山梨側には雪がないので、特に問題なく、あずま屋の建つ浅間峠に着いた。
 峠には新しいあずま屋やベンチと、古い石の道標があり、かたわらにはスギの大木もそびえていた。

 大正14年11月に、上川乗青年団によって建てられた石の道標には、南側に「山梨県棡原村ヲ経テ上野原町ニ至ル」、北側に「小宮戸倉ヲ経テ五日市ニ至ル」と彫りこんであった。
 西原峠から来たときには、道標にもスギの大木にも気づかなかったが、なかなか見るべきものもあるのだった。

 時間的には微妙だったが、ここで大休止。
 ラーメンを食べ、お茶を飲んで立ち上がったときには、13時47分に上川乗に来るバスに乗るのは無理だと思ったが、調子よく下っていると、間に合いそうな気がしてきた。

 最後のジグザグ下りは急だったが、停留所に着いたのは、バスの来る1分前だった。

 峠へはすぐだった。