春浅い権現山
− 浅川から権現山、不老山 −
【年月日】 |
2010年4月3日 |
【同行者】 |
単独 |
【タイム】 |
浅川(8:51)−浅川峠(9:37)−権現山(10:50)
−和見分岐(8:10)−雨降山(11:26)−棚頭分岐(11:57)
−高指山(12:18)−不老山(12:33-12:36)−不老下バス停(13:24)
=本町三丁目バス停(14:34)−上野原駅(15:35)
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【地形図】 |
上野原 ルート地図
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バッコヤナギもまだ硬い
| センボンクヌギタケ大発生
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晴れ予報だったのだが、朝からずっと、厚い雲が垂れこめていた。
猿橋駅からのバスを浅川で降りる。
浅川は、よくこんなところまで定期バスの便があると思われるほど、山深い集落だ。
バス停から先はしばらく林道歩きだ。
林道の終点から登山道に入る。
この季節であれば、タチツボスミレが至る所に咲いていそうなものだが、バッコヤナギのつぼみも固く、花はまったく見なかった。
ジグザグに登っていくと、センボンクヌギタケが発生した切り株があった。
ここで写真撮影を兼ねて、ザックを下ろす。
立派なクロハナビラニカワタケ
| 権現山から奈良倉山を望む
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浅川峠からは、植林も少なく、きれいな雑木林を登降していく。
ミズナラ・コナラ・ヤマザクラが多いが、カエデ類も多いから、晩秋にここを登ると気持ちがよいだろうと思われた。
ゆっくり登っていくと、麻生山との分岐。
権現山直下でクロハナビラニカワタケを見た。
このきのこを見たのは二度目だが、冬から早春のきのこのようだ。
権現山からは、主に北側の展望が開ける。
雁ヶ腹摺山や三頭山など、近くの山は見えるのだが、雲が多くて展望はあまりよくなかった。
富士山が見えると思われる方向も伐開されているのだが、そちら方面は何も見えなかった。
縦走路を少し急降下すると、和見王勢籠神社の奥社。
「祭神 日本武命」とある。
そんなものを祀らなくてもよさそうなものだが。
このあたりは、上野原借金党が山林集会を開いた場所らしいが、詳しい史料は残っているのだろうか。
ずっと下っていくと、ベンチの設けられた鞍部で、切り開きがあり、三頭山がよく見える。
「すみれの丘」の表示のある和見分岐付近に、スミレは全く咲いていなかった。
雨降山は電波塔に占拠されたピーク。
管理施設の中で、携帯電話の着信音のようなアラームが鳴り響いていて、感じが悪かった。
ここから南へのルートはやや不詳だったので、尾根上を忠実に下ったが、ここは植林が多く、展望もない。
地形図にのっていない送電鉄塔をくぐり、急降下する途中で、コゲラが遊んでいた。
地図にのっている和見への道は、通行危険とあった。
さらに尾根を行くと、新しい地図にはのっている林道を渡る。
完全舗装・ガードレール付きの車道だ。
ゴウド山の手前で、棚頭方面と石老山方面の分岐。
ここで石老山方面をとると、ゴウド山を巻いて高指山に向かう。
高指山から不老山へもすぐだった。
不老山の南側は広く伐開されていて、富士山や丹沢が一望できるはずだが、丹沢はどうにか見えていたものの、富士山は雲の中だった。
山頂にあるサクラがようやく一、二輪ほころびていたが、これはヤマザクラでなくソメイヨシノだと思う。
不老下へは南西の尾根を下る。
しばし下ると金毘羅権現社。
ここは地元によってよく整備されており、展望のよいところだ。
その下で、中風呂集落との分岐。
道標はないが、ここは右に入る。
墓地奥の登山口まではすぐだった。
この山行きで見た草花は、登山口周辺に咲いていたミミガタテンナンショウくらいだった。
不老下バス停でしばし待ち時間があったので、交通安全地蔵のある小公園で読書。
ここからのバスは本町三丁目が終点である。
そのまま駅に向かうのもつまらないので、上野原小学校にある大ケヤキや月見ヶ池近くの保福寺を見に行った。
大ケヤキは、樹齢800年という立派なものだったが、老化がずいぶん進んでいて、痛々しかった。
月見ヶ池では、カルガモやマガモが遊んでおり、ほぼ満開の桜並木では、シジュウカラが蜜を吸っていた。
保福寺は立派な山門や鐘楼を持つ、古そうなお寺だったが、本堂がなく、どこを参拝すればいいのか、よくわからなかった。
市街地から上野原駅までは、意外に歩きでがあった。
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