春雪の南大菩薩

【年月日】

2010年3月25〜26日
【同行者】 多数
【タイム】

3/25 大和天目山温泉(10:10)−林道分岐(11:13-11:23)−湯ノ沢峠避難小屋(12:30)
3/26 湯ノ沢峠避難小屋(5:45)−大蔵高丸(6:34-6:45)−破魔射場丸(7:15)
   天下石手前(7:58-8:05)−大谷ヶ丸(9:03-9:12)−滝子山(10:45-11:10)
   −桧平(11:55-12:05)−水場(12:57-13:07)−初狩駅(14:25)

【地形図】 大菩薩峠、笹子、大月 ルート地図

これから晴れると思ったが
霧氷のシシウド

一日目(大和天目山温泉〜湯ノ沢峠避難小屋)

 朝からしとしと雨が降っていた。
 電車の窓からは近くの山しか見えず、中央線沿線の山々はガスに沈んでいた。
 大月を過ぎると、近くの山にも雪がついているのがわかった。

 甲斐大和駅のバス待ち時間に身支度。
 雨がやむことはないので、合羽とスパッツをつけて雨傘を出す。

 天目温泉からの長い林道歩きでは、なるべく靴を濡らさないように歩いたが、いずれぬかるみの中を歩かねばならないので、意味はあまりなかった。
 焼山沢はなかなかいい感じのササ濁りだった。
 渓相もいいのだが、堰堤が多すぎだ。

 林道の分岐から傘を仕舞う。
 登山道に入るところから雪道になった。

 過日の春雪で折損したと思しき大枝・小枝が散乱していて、いささか歩きにくい。
 小沢も多少増水しており、飛び石の渡渉でかわした。

 左からの細流を分けると、峠も近い。
 腐った雪で歩きにくくなるが、湯ノ沢峠避難小屋には、思ったより早く着くことができた。

 晴れていれば、大蔵高丸まで散歩に行くのだが、とてもそんな気になれる天候ではなかったので、とりあえず眠ったり読書したりして、しばらく時間を潰した。
 この時間は想定外だったので、帰りの電車で読み終えるつもりだった『働くことがイヤな人のための本』を読んでしまった。

 気温は4度。じっとしていれば寒いが、この時期としては高い方だ。
 おかげで、ガスコンロのボンベが元気だったため、炊事が手際よく進んだ。

 7時くらいには寝てしまったが、夜もさほど寒くはなかった。

二日目(湯ノ沢峠避難小屋〜初狩駅)

霧氷の枯れすすき
霧氷

 夜中に外に出てみると、相変わらずガスが濃く、粉雪が舞っていた。
 翌日は晴れ予報だったのだが、どうも今ひとつだと思った。

 5時半過ぎに出発するころになっても天気は同じような状況だったが、足元の雪が固くなっていたので、前日よりははるかに歩きやすかった。

 霧氷のお花畑を過ぎ、大蔵高丸への登りにかかると、折損木がすこぶる多い。
 これは下山するまで、どこも同じだった。
 3月9日に降ったのは、たしかに重い雪ではあったが、これほどの枝折れになるとは思わなかった。

 大蔵高丸に着いても晴れなかったが、白谷ヶ丸をはじめ、近くの山々は見え始めており、滝子山まで行けば大展望が得られるのではないかと、期待は残った。

 ハマイバあたりはダケカンバとミズナラの疎林で、いつきても気持ちのよいところだが、今回は木の枝に霧氷がついて、たいへん美しかった。
 ハマイバの下りでちょっとルートミス。

マンサク凍る
檜平近くの大ミズナラ

 天下石の手前で小休止。
 軽アイゼンに団子状の粉雪がつくので、ここでアイゼンを外す。

 小ピークを越えると米背負のタル。ここは天目温泉へのエスケープルートになる。
 大谷ヶ丸は双耳峰で、登山道は南峰についている。ここはほとんど展望なし。

 滝子山への道は少し戻って東に下るのがわかりやすい。
 このあたり踏み跡がやや不鮮明だが、尾根を外さなければ大丈夫だ。

2年ぶりの大ケヤキ
このケヤキも大きい

 小さなピークを登下降していくと、傾斜が出てきて、雪も深くなる。
 鎮西ヶ池からは、珍しく水が流れ出ていた。
 ザクザクの砕氷になった雪の急登をキックステップで登っていくと、滝子山の分岐。  尾根上に積雪はなく、ひと登りで山頂に着いた。

 滝子山に来て展望がないのは、やはり残念だったが、山頂でマンサクの花を見ることができたのは、幸いだった。

 初狩へは急下降なのだが、雪があるのでむしろ歩きやすい。
 水場近くはヒノキ林だが、オノオレカンバ。ウダイカンバ・ケヤキなどの大木が、おそらくは意図的に伐り残されている。

子神社の大杉
子神社の欅供養碑

 4年前に見たマツカサキノコモドキが出ていないか、下山道近くのアカマツの樹下を注意して見たが、今回も出ていなかった。
 前方に中央自動車道が見えるところまで来ると藤沢集落で、子神社(ねのじんじゃ)がある。
 神木の大杉は、見ごたえがあった。
 またここには、欅供養碑という珍しい石碑が立てられていたが、その由来などはわからない。

 初狩駅に着いた途端、電車が行ってしまったのは残念だったが、次の電車に乗った後の乗り継ぎはうまくいった。