下田山塊の展望
−白根山(下田)−

【年月日】

2025年5月27日
【同行者】 単独
【タイム】

駐車スペース(8:51)−登山口(9:14)−展望地(10:20-10:58)−白根山(12:12-12:25)−展望地(13:11-13:24)
−駐車スペース(14:11)

【地形図】 粟ヶ岳 ルート地図

 魚沼の田んぼにも水が入り、蒲原あたりではすでに田植えが終わって、早苗が風に揺れていた。
 日本の初夏だ。

 白根山の登山口は笠堀ダムかと勘違いしていた。
 歩き出そうとしたら、登山口に光明山登山口と看板があり、それを見て気づいた。
 白根山登山口までさほど遠くないので、助かった。

ニシキゴロモ
守門岳

 ちゃんとした駐車スペースがあるのだが、舗装してあるわけではないので、ヒルがいないとは限らない。
 前日、雨が降ったようでもあり、車から降りてすぐに警戒する。

 笠堀ダムで、足ごしらえはしてきた。
 登山靴にヤマビルファイターを噴霧。
 古くなったためか、液の中で成分がダマになってうまくミストにならない。
 最後はキャップを外して、靴直接に垂らした。

 さらにロングスパッツをつけ、スパッツの上からも噴霧。
 普通の山ビルなら登ってくることはないだろう。

 しばらくは林道を行く。
 草むらを避け、砂利のあるところを選んで歩く。

 登山口からは、ちょっとヤバそうな落ち葉の道。
 ここで立ち止まるわけにはいかない。

 しばらく行ったところに山の神。
 男根をかたどった棒が祠の前においてあるが、これは信仰によるものか、それともおふざけか。

 スギ林を抜けると雑木の二次林で、かなりの急登だが、ここは意図的にスローダウンして、立ち止まらないように登る。
 幸か不幸か花は少なく、ペースはあがる。
 ニシキゴロモ・ヒメハギなどが咲いていたが、ツバメオモトやヒメサユリはまだつぼみだった。

 傾斜がやや緩むがすぐにまた急登で、尾根上。
 ここまで登ればたぶん、ヒルはいない。

 少し行ったところの展望地で、早くも大休止。
 ここはとてもいいところで、目の前に粟ヶ岳がそびえる。
 たぶん見えているのは九合目あたりまでだが、どっしりした根張り、雪崩に磨かれた岩壁、雪の詰まった雪渓など、とても1200メートルの山とは思えない。

ヒメサユリ
粟ヶ岳

 ここからしばらくは、越後の1000メートル前後の山にありがちな灌木帯。
 快晴ではないが、まぁまぁ晴れており、けっこう暑い。

 南側には守門岳。
 こちらは、粟ヶ岳より雪がはるかに多い。

 まずまず好展望の尾根をしばし行く。
 イワカガミ・ヒメサユリなどが足元に咲き、ユキグニミツバツツジ・タムシバ・ムラサキヤシオ・マンサクなども咲く。

 頂上直下は最後の正念場。
 マムシが鎌首を持ち上げて登高を邪魔したが、どいてもらった。

 頂上直下には雪田が残り、イワウチワやショウジョウバカマも咲いていた。

 山頂は好展望。
 粟ヶ岳だけでなく、下田山塊がほぼ一望できる。
 ここで小休止。

 粟ヶ岳の彼方に見えるのは白山かと思いきや、そうではないらしい。
 木六山から続く山々はどれがどれだか、わからない。

 東側には秘境といっていい山々。
 青里岳と矢筈岳がよく目立つ。
 南側には守門岳。

青里岳
矢筈岳

 ひと息入れて、下山にかかる。

 基本的には下るだけだが、きつい登りがけっこうきいてた。
 大休止をとった展望地で、再度、腰を下ろした。

 ここから駐車地までは、立ち止まらず、早足で、一気に下った。
 手を伸ばしたのは、草むらから離れたところにでていたわらびだけ。

オオイワカガミ
諸橋轍次氏生家

 靴も脱がずにエンジンをかけ、乾いたところに移動。
 道の駅の駐車場まで行って、足回りを中心に、怪しい出血がないか調べたが、問題なかった。

 時間も遅かったせいか、道の駅にはこれというほどのものが売ってなかったので、諸橋轍次記念館へ。

 大漢和辞典の編者だったということくらいしか知らなかったが、そのこと自体が驚異的なことなのだということがわかった。
 行くに小道を求めずというのが、諸橋氏の好きな言葉だったという。
 学問は最も広い道を行けという意味だ。

 小さなテーマを極めるのはさほど困難ではないが、漢字の意味を極めるというのはとてつもなく巨大なテーマであり、一人の人間にどうにかできるものではない。
 しかし、そこを行けというのである。
 山の中では、不審な分岐をこよなく愛している自分だが、学問の世界では、大道を行きたいものだ。