−霧ヶ岳− |
【年月日】 | 2025年5月8日 |
【同行者】 | 単独 |
【タイム】 |
ゆあみ登山口(8:26)−霧ヶ岳(10:15-10:55)−ゆあみ登山口(12:19) |
【地形図】 | 原之町 安塚 石黒 松代 ルート地図(後半のデータ欠落) |
上越インター周辺の市街地が少し混んでいたが、まずまずの時間に登山口に着いた。
トンネルの近くから登り始めると、けっこうな急登。
あたりは原生林で、ブナ・ヤマザクラの巨木が多い。 早春の花は終わってしまったようで、カタクリはすでに若い実をつけていた。
最初の急登が終わるとやや穏やかになるが、また厳しくなる。
標高を上げると、花の種類が多くなる。
再び穏やかになると、幹が横に寝た灌木帯となり、トラバースで小沢を渡る。
谷状のところは雪が溶けたばかりなので、カタクリもまだ芽生えだった。
肩のピークは広いところだが、展望は今ひとつなので、休まず山頂へ。
山頂は、広く開けた、展望のよいところだった。
西側には、妙高プリン山から火打山。焼山。
南側の低山の彼方に苗場山とたぶん、霧ノ塔。
南東側に谷川連峰。
近くの山では、北東の黒姫山と真北の米山。 下りは小谷島コースへ。
いきなりヤセ尾根の急降下から始まる。 雪が溶けたところにはカタクリやこごみが芽吹いていた。
こちらは原生林でなく、スギ林と普通の雑木林。
ユキザサやトリアシショウマが出ていたので、摘みながら下る。
下山後、まずは虫川の大杉を見に行った。
白山神社の小さな境内のほとんどを、大杉が占めている。
帰途につく前に直江津の居多神社近くの観光駐車場から、一帯を歩いてみた。
居多神社は越後一宮と大書してあったが、新しげな建物だった。
五智国分寺もあまり古くなさそうだったが、由緒は名前のとおりで、三重塔は幕末の建造物とあって立派なものだった。
少し歩いて、西本願寺国府別院。
そろそろ駐車場に戻ろうかというところに愛宕神社。
地域の鎮守かと思いきや、入口にあった看板には謙信ゆかりのさまざまな品物があると書いてあった。
享和年間の建築といい、張り出し屋根の柱の礎石は、鬼が支えていた。 写真を撮っていたら、地域の詳しい方がていねいに説明してくれて、ありがたかった。
すぐとなりに白山神社。
駐車場に戻り、三年ぶりに春日山へ。
ご本尊と謙信さんと川中島の犠牲者にとりあえず手を合わせてから、宝物館を見せていただいた。 帰るときには、さすがにバテバテだった。
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