−雨の巻機山− |
【年月日】 | 1992年6月21〜22日 |
【同行者】 | 単独 |
【タイム】 |
6/21 桜坂(7:30)−避難小屋(10:25) |
【地形図】 | 巻機山 |
梅雨前線は相変わらず停滞しており、土曜の夜はどしゃぶりの雨だったが、対馬付近に小さな高気圧があり、それが日曜日には新潟あたりにきて晴れるという予報だったので、朝もさほどよい天気ではなかったが、4時過ぎに家を出た。
でも、学校5日制についてのレポートを書いたりしてストレスはたまっているし、仕事を休まないとかならず出てくる肩凝りのような痛みもしばらくつづいていたので、自動車のなかで身じたくをととのえ、いっきに登りはじめた。
天気がよければヌクビ沢を登ろうと思ってウェイディングシューズをもってきたのだが、こんな豪雨ではお話にならないので、尾根コースに変更。
あたりはブナ林だが、若い木が多く、豪雪地帯特有のいったん横に寝て立ち上がる生え方をしている。
しばらく行き、三合目という道標を見たあたりから傾斜が急になる。
五合目になってようやく尾根らしいところに出る。ここまで約1時間、南側が開けていて、米子沢のごうごうという沢音が聞こえている。
道のわきにネマガリタケがめだつ。
靴のなかに水が入ってぐちょぐちょになっていたので、もうどうでもいい気分になり、水のなかでもどこでもかまわず歩いた。
高い木が少なくなってき、ネマガリタケのヤブを伐開した道となる。
七合目を過ぎると泥炭層が流失して荒れた箇所がときどきあらわれてくる。
八合目からはそうした荒廃箇所がさらに多くなる。
ショウジョウバカマはもう花がおわっており、花がらになっていた。
ゆるやかに下っていくと、稜線のやや下には広い雪田。
草原ではイワイチョウやニッコウキスゲの芽が出たところだ。
木道の上なのですべらないように注意しながら下っていくと、ガスのなか前方に巻機避難小屋が見えた。10時25分。
小屋に入ると、10人くらいの男女中高年パーティがちょうど下山しようとしてごったがえしている最中だったが、かれらが出ていくと、小屋は私だけとなり、静かになった。
雨具類をぬいで二階にあがり、まずは濡れた靴下を交換。Tシャツの予備も持ってきていたのだが、濡れたのはクロロファイバーのだったので着たまま乾かす。
水の入った靴はさかさまにして立てかけ、ウールの靴下は明かり取りのところでしぼって針金につるす。
そうしていると、沢を5時間かけて登ってきたという3人の新潟県民パーティが到着した。
さらに7人の早大学生パーティがやってきた。かれらは疲労困憊していて、ほとんど口もきけないようすだった。新潟県民のいきおいに恐れをなしたのか、早大生は二階にあがってきて、食事のしたくをしはじめた。
聞くとかれらは一昨日この小屋に泊まり、朝日岳方面に縦走しようとしたが、引き返してきたらしい。
暖まってくると元気が出てきて、軽口なども言い合っているが、下山したら新幹線で帰京すると言っているのにもたまげた。私とくらべてなんという豊かな登山であろうか。
これらの連中はここで泊まるのかと思っていたが、異常に元気な新潟県民も富裕な早大生も、やがて激しい雨のなか下山していった。おかげで小屋はまた静かになった。
コッヘルに水がいっぱいになったので、タケノコうどんを食べる。
夕方になると、ようやく着ているものが乾いてきた。こうなると静かな避難小屋は快適そのもの。
FM放送を聞いてみると、中越地方に大雨洪水警報が出ており、この悪天は今夜が峠だということがわかった。
寝るしたくをしていると、驚いたことに、6時半過ぎになって、女性の単独者が小屋に飛び込んできた。
翌朝は、4時ごろから白んできた。雨足は、昨日にくらべればずいぶんおとなしくなったが、完全にやんではいない。ただ風はときどき凪ぐようになり、ガスは昨日より濃くなった。
濡れて気持ちの悪い雨具を着て外に出てみると、雨は降ったりやんだりで、昨日ほど不快ではない。
ミツバオウレンやイワカガミが見られだすと、ひと登りで巻機山頂上と書かれた道標の立っているところに着いた。
ここからは、傾斜のきつい割引岳へまずは向かおうと少し下ってみたが、すぐに東側の雪田に出てしまっため、割引岳は早々にあきらめ、牛ヶ岳へ向かった。
頂上と書かれたところから草原状のところをゆるやかに登っていく。
そこからまたゆるやかに下り、朝日岳方面への縦走路入口というところを見て過ぎ、登りに転じると、牛ヶ岳の三角点。牛ヶ岳の山頂は三角点のさらに先にある。
牛ヶ岳山頂と書かれた道標の建つ地点に着く。
避難小屋に戻ると、女性単独者がちょうど下山しようとしているところだった。
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