美濃の奥庭
−能郷白山−
【年月日】 |
2024年6月13日 |
【同行者】 |
単独 |
【タイム】 |
温見峠(7:56)−奥の院(9:55-9:58)−能郷白山(10:01-10:07)
−温見峠(11:08)
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【地形図】 |
冠山 能郷白山 ルート地図 (マウスホイールで拡大・縮小)
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話には聞いていたが、国道157号は道幅が狭く、対向車が来たらまずい状態だった。
一時間ほどの間に二台の車とすれ違ったが、いずれもすれ違い可能な場所での遭遇だったので、困ったことにならなかったのは、幸運というほかなかった。
温見峠についたときには、ホッとした。
最初はブナ林。
若ブナでなく原生林でもなく、壮年のブナだ。
ブナ林が灌木林に変わると傾斜が出てくる。
足元にはミゾホオズキ。
展望はまずまずで、今走ってきた根尾西谷や、峠向こうの姥ヶ岳、中景の銀杏峯なんかがみえるが、知らない山ばかりだ。
丸い葉っぱの白いシモツケ・タニウツギ・ナナカマドなどが咲く。
急登はすぐに終わって、1492メートルのピーク。
コロンブスピークという山名版が下がっている。
くだらない。
そこからやや下ったあたりで、東側の根曲り竹のヤブでガサガサと大きな音がして、何ものかが逃げていった。
やっぱりこの季節は、根曲がりの中にいるんだな。
ここからは、急登から開放されて、展望のいい尾根道となる。
じつに快感。
草原状のところは、高山であればお花畑なんだろうが、花は見なかった。
緩やかに登って、山頂。
ここも好展望なのだが、南側は見えない。
踏みあとは、奥の院へと続いていたので、ここでは休まず奥の院へ。
奥の院からは、頂稜の草原越しに能郷谷や奥美濃の山々が一望できた。
展望に関しては奥の院が最もよかった。
山頂に戻って小休止。
じつはこの日、登山用のザックと登山道具一式を忘れてきた。
そのことに気づいたのは温見峠に着いたときだったので、どうしようもなかったのだが、釣り用のザックと行動食と飲み物は持っていたので、それらを背負って登ったのだった。
荷物が軽いので、軽快に下山。
157号を戻るのは嫌だったので、福井県側へ。
下界はひどく暑かった。
1989年以来、ひさびさに一乗谷へ行ってみた。
その時には、ここが一乗谷です、という程度の説明しかなかったように思うのだが、整備がずいぶん進んで、大きな展示施設や復原町並ができており、観光客もそこそこ歩いていた。
一乗谷は、山城の懐に形成された、非常に小さな城下町だ。
朝倉氏の盟友・浅井氏の小谷城と、作りがよく似ている。小谷城の町並みは復元されていないが、おそらく、二つの尾根に囲まれた谷が家臣団の集住地で、その先が商人・職人の住居だったのだろう。
城山に登って見なかったので、山城としての規模は体感してないのだが、小谷城ほど大きなものではないと感じた。
展示施設は、よくできていた。
朝倉氏が支配した越前が「平和」だったと何度も言っているのには疑問があったが、ことによるとそれが正解なのかも知れない。
朝倉義景が機を見るに敏であれば、戦国の歴史が変わったかもしれないし、越前にとって朝倉はヒーローたり得たかもしれない。
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