暑くなる予報だったが、朝は涼しかった。
灌木の中につけられた踏みあとを行く。
道標と赤テープがあるので間違いそうなところはないが、豪雨のあとだからか、道はさほどはっきりしていない。
かつての湿原のあとなのかもしれない平坦地。
シラビソ・カンバ類などが雑然と生えたところだ。
枯れた沢を渡り、少し下ると、桜沢源流。
渡渉点は飛び石で渡る。
ここから支流に入る。
破線は沢沿いに記されているのだが、踏みあと不明。
流れが細くなると道がわかりやすくなる。
尾根にとりつくとやや急登。
ジグザクに登っていく。
タマゴタケ・カバイロツルタケ・ホコリタケ・クチベニタケなどが出ていたが、チチタケは見なかった。
大入道のピーク付近は曲輪のような平坦地になっている。
まさか曲輪ではなかろう。
大きなブナの倒木があり、生きた大ブナも生えているが、かなりの老木で大枝の折れた木もあった。
ここで大休止。
少し下って、剣ヶ峰へ。
大入道より剣ヶ峰のほうがやや高いので、けっこう登らなければならない。
ときどき、北側が切れて展望がひらけるのだが、目の前の山の頂稜にはガスがかかっていた。
剣ヶ峰のピーク手前から自然に左折して、南への尾根に乗る。
ここから先は下るだけかと思っていたが、さにあらず。
さらに登っていくと、矢板市最高点というピーク。
少々疲れたので、ここで小休止。
ここからはようやく、下る一方となる。
しばらく下ると岩塊の散乱した好展望なところ。
八海山の祠があったところらしい。
いいところだが、平野部はよく見えるものの、背後にそびえているはずの高原山は見えないのだった。
ここで下山コースは二つに分かれる。
見晴らしコースと樹林コースだが、やや長いと思われる樹林コースを選んだ。
きのこが出てるかと思ったのだが、思わしいきのこはほとんどなく、淡々と標高を下げる。
ちょっとしたところで視線を感じたのでよく見たら、鹿がこちらを睨んでいた。
鹿ならいたるところで見るのだが、この若い雌鹿は、なんだかとても憤っているらしく、足をドンッ、ドンッと叩きつける。
「テメー、ふざけんじゃないよ、まったく。絶対許さねぇからな」というメッセージかと思うが、おとなしく登山道を歩いてるコッチに落ち度はないと思う。
ちょっと飽き飽きするほど歩いて、大間々駐車場。
レンゲツツジやズミなどが点在する、湿原あと地のようなところで、花の季節には美しいだろう。
登山口までは、さらに30分ほど歩かねばならなかった。
下山後、山縣有朋記念館を見学。
いうまでもなく山縣有朋は陸軍元帥で、秩父事件当時の内務卿。
秩父困民党を壊滅させた日本陸軍(東京鎮台・高崎鎮台・憲兵隊)の実質的な最高指揮官だった。
記念館は、彼の別荘だった瀟洒な建物で、展示も充実していた。
というか、書簡類がもっとたくさんあるはずだし、彼の事績を考えれば、大きな博物館であってもおかしくないと思う。
勲章だけ展示した部屋なんかもあって、開いた口がふさがらなかった。山縣は盛装時、これを全部ぶら下げたんだろうか。
すみからすみまでじっくり見せていただいたが、受付の方がコーヒーなど淹れてくださってホッと一息つくことができた。
無事下山のお礼参りは寺山観音寺へ。
聖武天皇の勅願により行基が建てたとかはちょっと盛り過ぎとしても、鎌倉時代の仏像が何体もあるらしく、しっとりとした、歴史ある古寺である。
周囲のシュウカイドウがじつに見事だった。
仏像もぜひ見たいと思ったのだが、60年に一度しか扉を開けないらしく、次回のご開帳は2044年の予定というから、おれにはもう無理だ。
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