この冬は、冬型気圧配置が持続せず、寡雪気味だという情報だった。
雪洞が掘れないほど雪が少なくては困るので、今年はテント泊のつもりで出かけてきた。
横向スキー場に入る前に時間待ちをする道の駅土湯でも、明らかに雪が少なく、舗装面が露出していたが、明るくなるころにちらほらと雪が舞い始め、周囲はあっという間に真っ白になった。
開会式のあと、いつものように雪に覆われた車道を行く。
雪は降っていたが、まだ本降りではなかった。
ブナの疎林をしばし登り、いつもよりやや上部の、ヒノキの植えられたあたりで小休止。
みんな、なかなか元気だった。
鷲倉温泉を見下ろすガケのところは、南側をトラバースして、いつもの泊地に着いた。
雪洞は例年、斜面の中ほどあたりに掘っているのだが、今年はテント泊だから、斜面よりやや北の緩傾斜の場所を泊まり場と決めた。
スノーソーとスコップを使って雪面をいくらか掘り下げ、テント二張り分の平坦地を作った。
雪面には、柔らかいところと程よい堅さのところ、完全に氷化したところが混在していた。
掘り出した雪のブロックは幕場の周囲に積み上げて、防風壁にした。
ひどい降りではなかったので、お昼過ぎには設営が完了して、雪洞作りよりずっと早い時間にのんびりすることができた。
トイレは、斜面をやや下ったところに深さ一メートルほどの穴を掘って作った。
しかし、ほっとするまもなく、強い風が吹き始め、水作りのためにガソリンコンロに点火するのが、かなり大変だった。
食事をすませ、薄暗くなったころに強風を押してトイレに行ってみたが、ずいぶん深い穴を掘っておいたにもかかわらず、トイレは完全に埋まっていた。
テントの周囲(特に風下側)には大量の雪が積もり始め、夜半の除雪が心配された。
結局、最初の除雪が午後六時ごろで、その後約二時間ごとの除雪を強いられた。
雪の積もる早さは、風下側で二時間に約50センチほどだった。
難儀だったのは、フライシートの前室がピンと張ってあったために、風を受けると、フライのファスナーが自然に動いてしまい、フライがめくれてバタバタと音を立てることだった。
しかも音だけならいいのだが、そこに雪が吹き込んで、どんどん積もってくる。
積もった雪は、テントの入口をふさぎ、放置するとテントから出られなくなりそうだった。
除雪は、登山靴に履き替え、スパッツを装着しなければならないから面倒なのだが、二時間に一度程度でよいのだが、フライがあいてしまうのは五分に一度くらいだから、面倒臭くってやってられない。
とはいえ、これもまた、ちゃんと閉めてやらないとならないのだった。
ありがたいことに、フライシートの裾が雪に埋もれてからは、このバタバタは解消した。
とはいえ、二時間に一度の除雪は続いたから、結局、ほとんど眠ることはできなかった。
翌朝、食事をすませてからしばしマッタリしてリーダーミーティングの結果を待った。
自分としては、九時半出発、土湯峠に十時半、鬼面山正午ならどうにかなると思っていたが、即刻撤収となった。
さっそく撤収の準備にかかったころには雪も小やみになり、天候は持ちなおしたかに見えた。
ここで、自分のストックが見あたらないことが明らかになった。
除雪の際に、ついでにトイレに行ったのだが、そのときに使ったストックをしっかり立てておかなかったらしく、倒れたストックは、どこに埋もれているかわからなくなっていた。
撤収作業の間、スコップであたりを掘り返しまくったら、幸運なことに30センチほども埋もれたストックを見つけることができた。
これはかなり奇跡的なことだった。
その後、パーティごとに新野地温泉に下っていった。
泊まり場から新野地にかけては壮年ブナの森だが、雪のついたブナの森の風情はみごとだった。
最終日は、昨年のような好天かと期待していたが、意に相違して曇り案配で、雪もちらついていた。
今年の新人大会は、結局ずっと雪降りだった。
反射板から横向へは、積もったばかりのふわふわした新雪の中を、泳ぐようにして下る。
それにしても、ずいぶんよく降ったものだとあきれるほどの雪だった。
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