春の吾妻連峰縦走

【年月日】

1991年5月3〜5日
【同行者】 単独
【タイム】

5/3 浄土平(11:50)−吾妻小富士(12:18)−酸ヶ平避難小屋(1:50)
5/4 酸ヶ平避難小屋(5:40)−一切経山(6:12)−烏帽子山(9:30)
  −昭元山(10:32)−東大巓(11:41)−明月荘(12:15)
5/5  明月荘(4:55)−梵天岩(7:45)−西吾妻避難小屋(8:39)
  −西大巓(9:40)−若女平(11:19)−天元台(12:35)

【地形図】 土湯温泉、白布温泉、吾妻山、天元台

一切経山にて

一切経山から五色沼

 福島駅からバスに乗り、浄土平に着いたのは、12時前。
 あられまじりの強風が吹いていたが、とりあえず空身で吾妻小富士へ。

 火口一周が30分くらいだが、稜線は風がとても強かった。
 それからザックを背負い、酸ヶ平に向かった。

 雪のため、夏道が完全に消滅。沢状のところを右岸沿いに登っていくのだが、しだいに膝より上のラッセルとなった。
 左岸のガンコウランなどがちらほら露出したところに渡り、さらに登っていくと、地形図どおりの位置に酸ヶ平避難小屋が見えた。

 吹雪はその夜いっぱい荒れていたが、気圧がだんだん上がっていたので、好天にむかうことが予想された。

 翌朝はきれいに晴れあがり、風もずいぶんおさまったので、一切経山へ。
 木も草も生えていない山なので雪がつかず、登りやすい斜面で、30分余りのゆるい登り。

 360度の展望、山頂のケルンにはエビのしっぽがついていた。
 五色沼のほとりの遭難碑の立っているところから家形山への登り。
 ササの中に道を探しながら登っていくと、すぐに岩のごろごろしているところに着き、樹林帯。

 樹林帯は膝までのラッセルとなったが、赤ひもがていねいすぎるほどついていたので、なんなく家形山を抜けることができた。
 ずっと樹林帯なのでラッセル続きだ。

 兵子ピークの見える鞍部からニセ烏帽子を越え、さらに烏帽子山へ。
 烏帽子山の頂上はちょっとした広場だが、そこから少し西に行ったところがガレ場になっていて、見はらしがよかった。
 休んでいると、昭元との鞍部からおおぜいの高校生パーティが登ってきた。
 この日初めて会った登山者だ。

 ひょっとして、昭元をラッセルしてきてくれたかと思い、どこからきたか尋ねると、残念にも、谷地平から直接登ってきたとのことだった。
 昭元山への登りからは、赤ひもの目印もなくなり、一段と雪が深くなる。
 夏道らしきところに雪が吹きだまっていて、苦しいラッセルだった。

 昭元山から先も同じ。
 この辺は地図がちょうど境目になっていて、読みにくい。
 東大巓の手前の小ピークのところで、ツアースキーヤーが楽々とすべってくるのに会った。

 そこから木のないなだらかなゲレンデを登りつめ、ようやく東大巓の肩。
 ガスっぽくなったが、この日たどってきた長い稜線が望まれ、充実感があった。
 弥兵衛平避難小屋もすぐ下に見え、緊張感がほぐれる。

 避難小屋に着いたのは12時過ぎと、ずいぶん早い時間だったが、これ以上ラッセルを続ける気にはならなかった。

小屋前から東大顛

シュカブラの向こうに磐梯山

 小屋には2時頃から登山者が続々と到着し、17〜8人くらいがこの日は泊まった。

 にぎやかなのはまだ我慢できるとして、バックパックを背負った中年の単独の男性がニコチン中毒と見え、煙草を引っきりなしにふかすのには閉口した。

 5日は、少し早く、4時に起きた。
 ご来光が拝みたかったのと、早く出ないと、前日のラッセルの状況からして、へたをすると西大巓まで行くには、もう一泊しなければならなくなるのではないかと思ったからだ。
 小屋から出ると、オオシラビソの樹林ごしに太陽が登ってき、東大巓東面の雪原をオレンジ色に輝かせていた。

 朝からすばらしい景色だ。
 多少風があったが、またも快晴の出だしとなり、好運だと思った。

 早朝なので雪面はクラストしており、歩きやすい。
 まもなく縦走路に出、藤十郎の方にゆるく下っていく。

 雪がわりあい堅いのと、し っかりしたトレースがついているのとで、前日にくらべればはるかに歩きやすく、ピッチも上がる。
 三つのピークをもつなだらかな藤十郎からは、シュカブラのかなたに磐梯山がのぞまれた。

 ヤケノママ分岐で休み、いったん下って中大巓へと登り返す。
 人形石分岐という道標で、まだ朝7時。

 梵天岩とその左の大きな西吾妻山はすぐそこだ。
 西吾妻への下りと梵天岩への登りは、ゆるやかだがやや雪の深い大雪原。
 樹林帯を避けていったん南側にまわりこみ、梵天岩へと急登。

 梵天岩から吾妻神社のある天狗岩までは、転石伝いに歩く。
 神社に参拝し、その裏手に回ってみると、目の前に飯豊連峰の大パノラマが展開し、息を飲んだ。
 標高は吾妻より少し高いだけだが、さすがに日本海に面しているだけあって、全山真っ白。

 西吾妻の小屋には、白布峠から来たという登山者とツアースキーの人がいた。

 小屋で腹ごしらえをして、空身で西大巓へ。
 時おり樹林帯のラッセルになるがおおむね歩きやすい。
 西大巓までは、往復1時間だった。

 西吾妻からは、若女平へ下る。
 はっきりしない尾根をはずさないように急降下。
 スキーのシュプールがあらわれたので、そのあとをついていく。

 シュプールは夏道と違い、沢をからみながら下っていく。
 すぐに足元で沢音が聞こえるようになり、シュルントが出てくると、シュプールは尾根のうえに登った。

 オオシラビソの樹林から茶色のダケカンバ帯にはいると、傾斜がなくなり、ヤブっぽくなった。このあたりが若女平だろう。

天狗岩から西大顛

西大顛から磐梯山

 風がないので汗が吹き出す。
 ところどころ雪が消えてぬかるみがあらわれ、里におりてきた実感がわく。
 あたりがカラマツの植林になった頃、ショウジョウバカマのピンクの花がそこここに見られた。
 スギの植林を抜けると広い伐採地。

 伐採地の山主らしき人が、熊はいたかと尋ねてきた。
 熊は見なかったが、足跡なら昨日ニセ烏帽子で見たと答えると、熊打ちの期限が切れそうなので早く打ちに行かなければ、と言っていた。
 ためしに、熊の肉はうまいかと尋ねてみると、鹿やカモシカよりずっとうまいと言っていた。
 カモシカを食ってもいいのかというと、今の政治家のやっている悪事にくらべれば、カモシカを食べるくらい大したことではない、という返事なので、まったく同感だと笑ってしまった。

 道路から天元台スキー場方面に少し登ったところに白布温泉の国民宿舎があったので、そこの風呂に入った。
 登山者に対して、まるで人間扱いしない態度は気にくわなかったが、温泉はなかなかよかった。