野地温泉から安達太良連峰縦走

【年月日】

1990年4月29〜30日
【同行者】 単独
【タイム】

4/29 野地温泉(9:05)−鬼面山(10:15)−箕輪山(11:39)
  −鉄山避難小屋(12:24)
4/30 鉄山避難小屋(5:55)−安達太良山(6:48)
  −奥岳(9:15)−岳(10:45)

【地形図】 安達太良山

磐梯山と夕陽

 福島駅から野地温泉経由会津若松行きのバスは、8時発。
 乗客は3人、中年女性の車掌さんが時代がかった声で通過地点を告げる。
 野地温泉に着いたのは9時過ぎ。

 バスの車窓からミズバショウの終わりかかった花などが見られたが、ここはまだ残雪があり、道ばたにショウジョウバカマが首をもたげていた。
 雨はさほどではなかったが、かなりはだ寒く、下生えのササも濡れていたので、雨具を着込み、スパッツをつけた。

 沢を渡りながら、送電鉄塔をめがけてゆるく登っていく。
 土湯峠に立つと、あたりはガスのため、まったく展望なし。
 道ばたにはコケモモが多い。
 鬼面山まで約1時間強の行程だった。

 箕輪山との鞍部から箕輪山への登りは長い。
 1時間半近くの登りの末に、ようやく箕輪山。西からの風がやはり強い。

 笹平で僧悟台への道を分けると再び登り。
 はじめは急だが、すぐに樹林帯を抜け、ガンコウランやハイマツ、クロマメノキなどが生えた赤ザレのゆるい登りとなる。

 風はますます強くなり、小雨は霰に変わった。
 鉄山避難小屋に着いたので、そこに飛び込んだ。

 中には誰もおらず、ほっとした。
 避難小屋は、鉄骨作りのしっかりしたものだが、普通に寝るには4人くらいでいっぱいになる程度の大きさのものだった。
 晴れていればこのまま安達太良山まで行って、くろがね小屋でテントを張れる時間だが、とても行く気にならない。

 食事をしてぼんやりしていると、単独のハイカーがやってきた。
 私はこの避難小屋が混んでいないのが気に入っていた。

 かくて、この日の宿泊者は、二人となった。

 風は小雪とともにその後も荒れ狂っていたが、午後5時過ぎにいったん凪いだ。
 外に出てみると、ガスも完全に晴れており、吾妻連峰がすぐ前に広がり、西には磐梯山が意外につつましい山容を見せていた。

 南には沼ノ平がすさまじい光景を見せており、その向こうには船明神山。
 安達太良山は鉄山に隠れて見えなかった。
 やがて、見事な夕日が吾妻連峰と磐梯山との中間に沈んでいった。

 天気予報も、翌日は全国的に高気圧におおわれ、穏やかに晴れるであろうといっていた。
 翌日のご来光を楽しみに、簡単な食事をすませ、早くに寝た。

 ところが、日が暮れると、再び風が強くなってき、すきまから風が吹き込んで、寒いことこの上なかった。

 4時過ぎに目が覚めたので、とりあえず食事にした。
 枕元においておいたペットボトルの水が凍っていた。
 完全に凍結したら食事はできないところだが、なんとか炊事をするだけの水は凍らずに残っていた。
 しかし、ガスコンロは寒さのために元気に燃えてくれず、手でボンベをあたためながらお湯をわかさねばならなかった。

 靴もかちかち。
 外はガスで、風は昨日と同様に吹きまくっていた。
 クロマメノキの枝や石ころには一晩のうちにエビのシッポが1センチほどもついていた。

 5時55分に小屋を出発、強風のなか鉄山へ。
 ゆるい登りで鉄山に着くが、あまりの風にしばしば耐風姿勢を強いられる。
 しかし、矢筈森から安達太良主峰の乳首山までは、ほとんど立っていられないほどの風。

風雪の安達太良山頂

 何度か飛ばされたので、稜線の東側のガレ場をトラバース。
 稜線では顔面は寒いが、体は暑くてしようがなかった。
 再び稜線に戻り、やや傾斜の出てきたところをゆっくり登ると、山頂の乳首の部分の岩の基部。鉄のハシゴと岩場を登っていくと「八紘一宇」という碑の立つ山頂。

 まわりにさえぎるものはなにもないが、ガスと風で展望はゼロ。
 岩陰で一息入れて下山にかかる。

 ガイドブックには鎖場があると書いてあったが、鎖の位置がわからず、やさしそうな岩場をクライムダウン。
 峰ノ辻らしき支稜の上には、50人くらいの軽装のハイカーがぞろぞろ歩いていた。

 このあたりは風もほとんどなし。
 下からは、中年ハイカーや家族連れがぞくぞくと登ってきていた。

 山頂から40分でくろがね小屋。

 くろがね小屋から奥岳温泉への下りでふりかえると、安達太良山の山頂部がきれいに見えていた。やや残念。

 岳温泉まで歩き、二本松駅までタクシーを使った。