北関東の要衝を歩く
−太田金山城址再訪−

【年月日】

2019年5月23日
【同行者】 単独
【タイム】

太田駅(7:20)−天神山古墳(8:00)−大光院(9:03-9:35)−あずまや(10:51)−
新田神社(11:34)−太田駅(14:53)

【地形図】 足利南部、上野境 ルート地図(マウスホイールで拡大・縮小)

 太田駅から、まずは天神山古墳をめざした。

 道標などはないが、市街地からよく見えるので、わかりやすい。
 畑や住宅の真ん中にあるのだが、大きな前方後円墳である。
 墳丘への道らしきものがなかったので、登ることはせず、周囲を一周りした。

 すぐそばの女体山古墳には踏みあとがあったので、登ってみた。
 頂部には石祠が二体、祀られていた。

 古墳わきのコンビニで腹ごしらえして、金山へ向かう。

天神山古墳(大きな写真)
大光院吉祥門(大きな写真)

 富士重工の門前を通って金山へは、大光院への道標に従っていく。
 朝からずいぶん暑かったので、かなり遠く感じた。

 大光院は広大な敷地のお寺だった。
 吉祥門には葵の紋がついている。

 徳川家が征夷大将軍を世襲するにあたって、如何ともし難い問題点があった。
 三河の地侍出身だという、同氏の出自である。

 徳川家は御用学者を動員して『尊卑分脈』という家系図集を改訂させ、自家を上州新田氏の末裔だとする系図を書かせた。
 これによって、徳川氏は源氏の末裔だということになり、家柄にうるさい公家たちを黙らせた。

新田義貞供養塔(大きな写真)
新田神社(大きな写真)

 徳川氏の先祖になった新田氏を粉飾する歴史が書かれ、それに合わせて「史跡」が作られた。
 金山山麓・金龍寺の「新田義貞供養塔」などはその一例である。

 境内の一角から雑木の遊歩道に入ると、ようやく涼しくなる。

 金龍寺の新田義貞供養塔を見てさらに行き、小屋根を登るとあずまやがあった。
 ここで大休止。

 少し急なところを登ると、小ピークで浅間神社の分岐。
 ここからはゆるい尾根歩きで、すぐに駐車場がある。

大ケヤキ(大きな写真)
受楽寺山門(大きな写真)

 山道は車道を絡みながらピークへ続いている。
 空堀もあるのだが、とても明瞭に残っているので、近年になって人の手が入っているようだ。

 山頂一帯は完全に整備されていて、かつての石垣の残った部分もあるらしいが、どこがそうなのか、よくわからなかった。
 とりあえず最高点の新田神社へ。

 ケヤキの大木は元気だった。
 改めて説明板を読んでみると、樹齢800年とある。
 御祭神の新田義興が死んでから650年しかたっていないのだから、800年は大げさすぎるだろうが、すごい樹であることは間違いない。

 神社から南への小尾根を下った。
 車道を三回渡ると、ガイダンス施設。
 無料でこういう施設を見学できるとは、ありがたい。

 受楽寺や高山神社を見ながら、駅へ向かった。