大久保山・近沢峠・石尊山

【年月日】

1998年2月28日
【同行者】 Nさんと極楽蜻蛉
【タイム】

鉄塔入り口(8:20)−峠(8:55)−鉄塔(9:10)−大久保山
(11:20)−近沢峠(12:00)−.562三角点(1:00)−石尊山
(2:35)−名前不詳の峠(3:30)−塩田バス停(4:10)

【地形図】 番場

不動岳から望む大久保山
 ちょうど1年前の3月2日、栃木県田沼町黒沢集落奥の171号鉄塔近くで、二人の中年ハイカーが遭遇した。

 一人は奈良部山から下山途中。
 もう一人は、これから奈良部山へ向かう途中だった。
 人跡まれなこの山域で相まみえた二人のハイカーは、しばらくの立ち話の後、それぞれの目指す方向に向かって歩き去った。

 奇しくもそのちょうど1年後、二人のハイカーは一年ぶりに再会し、171号鉄塔で旧交をあたためあったのち、大久保山・石尊山をめざして、強烈なヤブこぎの一日を共にしたのだった。

 塩田バス停近くの広いところに自動車をとめ、挨拶もそこそこに、Nさんの自動車に乗って鉄塔入口へ。
 去年もここから登り始めたのだが、途中で道をロストし、ひどいガレ場の急登を強いられたのだった。
 今回は、Nさんのお導きによって、ほぼ地形図通りのルートで峠へ。
 峠の名前は不詳だが、小さな石祠が置かれており、由緒のある峠だと思われる。

 峠からはまず、鉄塔に寄ってひと休み。
 今にも降り出しそうな雲行きだが、とりあえず日中は持つとの予報だった。
 正面にどっしりとそびえているはずの野峰がガスに隠れて見えない。

 峠から南は、道型もほとんどなく、かなりのヤブこぎだった。
 雑木林になると、またエノキタケが出ていないか、気になってきょろきょろするが、タマキクラゲの出た小枝しか、見あたらなかった。

 何度か相談しながらルートを探し、大久保山(.662三角点)を望む岩峰へ。
 足元には、イワタケが貼りついていて、自然度の高さを感じさせ、いくつもピークを構えた大久保山は、なかなかの姿だった。

 シジュウカラの地鳴きが聞こえるなか、イワウチワの群生を見ながら地形図にはない小ピークを登下降し、ようやく大久保山。
 最近、測量の手が入ったばかりと見え、三角点の周囲が伐採されて、岳ノ山や大鳥屋山が、望まれた。

   ここは小休止にとどめ、車道の通る近沢峠へ下降。
 近沢峠には、昭和38年の林道建設記念碑と祠の残骸とが置かれていた。

 峠からは、一転して歩きやすい道となるが、ゴミも多くて閉口。
 足元には、ヤブコウジの緑が多くなる。  東にそびえる急傾斜のピークには向かわず、ゆるく登る南への尾根に入ると、キツツキのドラミング。
 アカマツ林の隅に、小さな祠があって、最近、神事を行った痕跡がある。
 祠は風化が進んでおり、正面に「三峰山・?平山」、脇に「明治十四年四月吉日」「願主 影???」と彫り込んであった。

 .562三角点直下は、新しい植林地で、好展望。
 岳ノ山、大鳥屋山、尾出山などの見えるところで大休止にした。
 Nさんに教えていただいて指呼できた、ここからの尾出山は、すばらしく鋭角的なピークだった。
 各所に魅力的なヤブ尾根が見えるが、大鳥屋山の大規模採石場だけは感心できない。

 塩田集落への分岐は見つからないのでパス。
 とても格好のよい石尊山(.530水準点)へ。
 ここの登りは、強烈。
 疎林なので展望もまあまあだが、かなり疲れた。

 山頂には、壊れた石祠があるが、字は読めなかった。
 見たところルートがあるようには見えなかったが、Nさんがあとでお店で聞いた話によると、塩田から鎖場のある直登ルートがあるそうだ。

 間違えて東への尾根に入りそうになったが、すぐに気づいて破線路の尾根に登り返し、とてもとがったピーク手前の鞍部まで下降。
 ここには、宝暦8年(1758)の銘のある首のない地蔵様が立っていて、荒れてはいるものの、峠道も残っていた。

 ここで、最後の小休止をとり、消え消えの踏みあとを中木戸集落へと下った。