永野から高谷山

【年月日】

1998年2月7日
【同行者】 単独
【タイム】

ゴルフ場入口(12:00)−高谷山(2:00)−宇田橋(2:45)
−ゴルフ場入口(3:05)

【地形図】 中粕尾

高谷山
 塩沢峠から高原山を経て尾出山に登ったとき、送電鉄塔のところで振り向くと、なかなか形のよい山があった。
 それが高谷山(粟野町)。
 やっと、その山に登れた。

 ゴルフ場入口付近に広いところがあったので、そこに自動車をとめて少し戻って島田林道に入る。

 雪が凍って歩きづらいところもあるが、植林の中、しばしで林道の終点。
 ここからどうするかは考えどころだが、沢沿いに踏みあとが続いていたので、それをつめることにした。

 しばし行くと、右岸側から涸れた沢が数本入る。
 古い炭焼きがまの跡などがあった。
 何本目かの涸れ沢が、ヤブも薄そうだったので、その沢をつめて稜線へ。

 ひさびさの山歩きなので、息があがってしまった。
 おまけに、北に進むべき尾根を南に進むというルートミスをしてしまい、20分近いロスタイム。

 戻ってかすかな踏みあとを北へたどると、高谷山がとてもかっこうよい。

 東からの尾根を合わせると小ピークだが、高谷山との鞍部への急降下は少し悪い。

 鞍部で腰をおろしていたハンターのおじさんとしばし雑談。
 そういえば、さっきから猟犬のほえる声が聞こえた。
 このあたりの山について、よくご存じなので感心した。

 鞍部からは、けっこうきつい登り。

 「安政三辰十月吉日」と彫られた石祠を見つけ、風雲の幕末に思いを寄せていたら、そばの岩に、蛍光グリーンのペンキで井上昌子の落書きを見てがっかり。

 高谷山の山頂は、小広い切り開きで、やや大きな石祠が置かれていた。
 灌木のために展望はないが、このあたりの山らしく静かで、ぽっかりとした、好ましい空間だった。

 鞍部からは、ハンターに教わった、西へ下る沢を駆け下った。
 ちょっといやなへつりが一ヶ所。

 仕事道も見つかったので、20分ほどで車道に出ることができた。