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【年月日】 | 1997年2月5日 |
【同行者】 | 単独 |
【タイム】 |
吾妻公園(11:01)−吾妻山(11:43)−大形山(1:14) |
【地形図】 | 大間々、番場 |
ひさびさに桐生川流域の山歩き。
鳴神山の梅田町側の登山口に自動車をデポして、桐生市内に向かってサイクリング。
少し迷ったが、吾妻公園の駐車場を見つけて自転車をロックし、吾妻山に向かった。
吾妻公園内ではフユノハナワラビが芽を出していて、あちこちで胞子葉を伸ばしていた。
尾根の上あたりは以前よりずいぶん整備された感じがする。
アカマツが多いので、荒れた山という印象はあいかわらずだ。
山歩きじたい、久しぶりなので、早くも土踏まずあたりが張ってきた。困った。
吾妻山の取りつきからトンビ岩、山頂にかけて、ウィークデーなのに歩いている人がとても多い。しかも、空身かつ猛スピードで登っていくご老人が何人もおられる。
Tシャツ一枚で走るように登っていく人もいる。凄い。
吾妻山まで登って小休止。
ベンチで黙々と腹筋を鍛えている初老の男性がいる。桐生市民はとても凄い。
吾妻山から北に、ハイカーはほとんどいなかった。
ここも「関東ふれあいの道」になっており、ふれあい規格の階段道が作られている。この階段道、使われている丸太の色も太さも関東一円どこも同じようだが、なんでどこも同じなんだろう。
ときおり、赤城山方面の展望が開ける。
冠雪した赤城山からの冷たい風がほおに当たる。去年と同じでなつかしい。
意味もなく、赤城山に感謝してしまった。
浅間山、榛名山、草津周辺の山も見えた。
宮本町と川内町に下る峠を過ぎ、きのこ会館への下山路を分けると、「釈迦彌(しゃがみ)観音入口 絶景也」と書かれたプレート。
なにゆえ観音様がしゃがんでおられるのだろうか。とても気になって、見に行きたい衝動にかられたが、今日は先が長いのでパス。
柳原への分岐にさしかかったところで、猟銃の音が三発。この時期の里山は、これが一番おそろしい。
岡平というピークを過ぎると、あたりは葉を落としたミズナラの自然林。安蘇に来たなあという実感がわく。
けっこう疲れたので、その先の大形山で大休止。展望はないが、静かなピークだ。遠く、チェーンソーで木を伐っている音が聞こえた。
元気を取り戻して、金沢峠に向かって急降下。たぶんちょうど中間点くらいだから、あまり下りたくないけど、しかたなし。
金沢峠の先で、アカマツの丸太が積み上げられた稜線東側の伐採現場を通る。
アカマツは荒廃の象徴というのは、不正確だ。正しくは、荒廃からの回復の象徴というべきだろう。そのアカマツを伐って、ヒノキを植えていた。また、シカが増えるだろう。
おかげでここは、東側が好展望。仙人ヶ岳、赤雪山、多高山などが近い。二十万図をもってこなかったので、足利より北の山はよくわからない。ちょっとかっこうのよいのは尾出山だろうナ。
スギ林を登っていくと、高畑山という小ピーク。右への分岐があって、「三峰奥宮 妙見宮を経て忠霊塔へ」という道標。
ここには、大きな石祠と神様の石像がおかれていた。神様のお名前はわからない。残念。
石祠の「明治四未年 仲秋吉日」という字は読めるが、祭神は不明。
ここから長い登りで、八一二メートルの三角点。この登りはこたえた。思わずザックを投げ出して、小休止。でも、ここまで来れば鳴神山は近い。
雪の多くなった尾根上のゆるい登下降しばしで、肩の広場。
鳴神山の神社の狛犬は、お狗様だということにはじめて気がついた。お狗様の狛犬といえば、秩父の三峰神社。先ほどの三峰奥宮との関連が気になる。
山頂に着いたのは3時半。もちろん、ハイカーはいない。
南のほうはずいぶんもやってしまったが、それでも快晴といっていい。
逆光となってしまった赤城のそば遠く白いのは草津か志賀。この日はなんと谷川がくっきり。神々しい。袈裟丸、皇海、そして白根山。白根が見えるのも珍しい。錫、太郎、男体山あたりは、ややもやがかかっていた。
近いところでは、残馬山、三境山、根本山、丸岩岳、野峰。足利方面は多高山しかわからない。
リッチな展望で疲れをいやし、深い雪の中をおおまたで登山口に下った。
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