塩沢峠から安蘇の鋭峰・尾出山

【年月日】

1996年3月9日
【同行者】 単独
【タイム】

展示林上(9:25)−MTB−落合橋(9:43)−塩沢峠(10:26)
−高原山(11:45)−尾出山(12:58-1:20)−展示林上(2:13)

【地形図】 中粕尾

高原山から尾出山を望む
氷室山から尾出山を望む

 桐生川奥の熊鷹山から、東側に広がる重畳たる低山の連なりは、低山派には見のがせない。
 特徴的なピークといえば、ミニ妙義といった感じの石裂山と、すっきりとした高まりを見せる尾出山があげられるくらいだが、じっさい登ってみれば、無数の由緒ある峠や楽しい山があるはずだ。

 秋山最奥の集落木浦原では道路工事をやっていた。交通整理をしていたおばさんに「午前中は通れなくなるよ」といわれたが、下山はどうせ午後になると思ったので、午後には確実に通れるということを確認して、奥に車を走らせ、尾出峠入口にあたるところに駐車した。

 今日も登山口までサイクリング。
 MTBに乗り、秋山川をのぞきながら下流に向かう。

 いくつかの集落を過ぎ、落倉橋という橋の架かっているところで自転車を降りる。

 自転車をロックし、落倉沢沿いの林道をゆっくり登っていくと、地形図にあるのとほぼ同じ地点で林道が終わり、むかしの峠道。
 すぐの分岐は、昭和六年十月に立てられた「右 永野村ニ至ル 左 山道」という石の道標があるので、右。
 部分的に崩壊したところもあるが、古い道形がしっかりと残っていた。

 峠の直下で道は消えるが、左のクボをつめるとふたたび峠道となる。
 道は地形図にあるのとは全然ちがって、いったん北へ回り込み、標高550メートルあたりをトラバースしながら塩沢峠へ続いていた。

 塩沢峠には首の欠けた地蔵様が立っており、この道が由緒ある道であることを物語っていた。
 ここから破線の記されていない尾根を北に向かった。

 踏みあとらしきものがあるにはあるし、意外にヤブも薄いので、とても快適に歩いていける。
 尾根の中央にヒノキが植わっているが、これが粟野町と葛生町の境界なのだろう。
 葛生町側はコナラ、クリ、ヤマザクラなどの自然林だ。

 野峰、丸岩岳から氷室山にかけての桐生川左岸稜線が樹林越しに見えている。
 こちらにはほとんど雪はないが、丸岩岳の尾根は一月に登ったときにくらべてずいぶん雪が多そうだ。

 やがて尾根がやせると今度は永野川側が雑木林となり、石裂山が見え隠れするようになる。
 目ざわりな送電線をまとった高原山が見えてくると、風化の進んだ石祠のおかれた六四二メートル水準点ピーク。

 ここの下りは、クロモジの多いヤブだ。
 クロモジの枝先を折って口に入れ、かみしだくと山のいい香りが鼻にぬけていく。この程度のヤブなら鼻歌気分だ。

 そんな調子で下っていくと、おどろいたことに、いきなり林道に出たので、一気に興ざめ。

 スギ林に戻り、ゆるく登っていくと高原山の一画で、新しく植林されたところに登り着いた。
 谷倉山など東側がよく見えるのだが、送電線がじゃまをするので写真なんか撮る気にならない。

 そのすぐ上に鉄塔があり、ペンキで「井上ショーコ」の落書き。

 高原山は特徴のない雑木のピークで三等三角点がおかれていた。
 ここは通過。そのすぐ先がまた新しい植林地で、目の前に尾出山、その向こうに横根山がそびえている。

 高原山から先は踏みあともはっきりしてくる。
 平坦な雑木林の中をのんびり歩くのは快適だ。

 空には雲が多く、ときおり冷たい北西風が吹きつけるが、この時期としては上出来だ。
 といってもせいぜい10センチ程度だが。

 急降下すると植林の中の尾出峠で、標高差200メートルの急登が待つ。

 約20分の登りで尾出山着。先客はみんな帰ってしまったので誰もいない。

 扉つきの石宮に「勝道上人修行 第二宿営跡」という石碑、それから二等三角点がおかれていた。
 石碑の裏には「尾出山神社氏子一同 世話人高橋寅清 八宝鉱山高橋東助 川嶋保次 藤倉正一 昭和三十九年陰暦三月十日 宮司高島繁」とあった。
 意外に新しい石碑なのだ。

 山頂北側の一部が伐採されていて展望がよく、地蔵岳と横根山が目の前だ。
 石裂山も無傷で見えている。
 はるか西北に見えるのは笹目倉山のようだ。
 遠くの山は雪雲の中だ。

 ありがたいことに風もやんでくれた。
 日だまりで樹林越しの丸岩岳や氷室山を眺めながら、コーヒーをわかして飲む。
 このところ北風の中を登ってばかりだったので、ひさびさにくつろげた。

 尾出峠からの下山道は地形図にあるのとは完全にちがっていて、しっかり踏まれた尾根道である。
 ずいぶんしっかり手入れされたスギ林の中を下っていくと、地形図にあるのより一つ南の谷に降り着いた。
 谷の入口には、「とちぎ三毳材ブランド化推進協議会」の生産展示林だという看板が立っていたので、なるほど気合いを入れて手入れしているはずだと思った。

 気温が上がったせいか、小さな淵でヤマメが走るのが見えた。