黒坂石キャンプ場から少し入ったヒノキの苗畑のわきが少し広くなっていたので、ここに自動車を止め、ほぼ完全に凍結した林道椀名条線を歩きだしたのは、11時過ぎ。
林道椀名条線と林道金山線との出合に、山神社という古い神社がある。
この神社の境内で、腹ごしらえ。
小さな境内には狛犬などもおかれていて、昭和十二年五月に建てられた「成業記念碑」という石碑が建っている。
内容を読んでみると、「建設者自認村井弥市」という人物による、この地域の林業の発展史が略述されていた。
地域の産業としての森林経営のフロンティアであろう村井氏の労苦は認めなければならないが、網の目のような一帯の林道網の建設には首をかしげずにはいられない。
山神社からは椀名条線を行く。
しばらくで林道作原沢入線が右から出合う。
これを少し行き、沢が二股になるところから尾根にとりつくというのが、地形図にあるルートである。
1キロほど行くとそれらしい二股に着いたが、林道も二方向に分かれ、さらに奥へ続いていた。
尾根のとりつきがあるかもしれないと思い、右の荒れた林道に入った。
まったく使われていないらしいこの林道にはキイチゴ類などが群生していて、感じが悪かったが、ワサビなんかも生えていた。
しだいに傾斜がでてくると林道は終わり、ヒノキの新しい植林地。
尾根のすぐ下の雑木林までは仕事用の踏みあとを利用。
しかし、意外なことに踏みあとは全くなし。
山神社から1126メートルピークに到る破線の道はすでに廃道になったようだ。
それでも上へ上へと登っていくと、ときおり赤布などもあらわれてき、ほどなく十二山から氷室山への縦走路に出た。
登山道は稜線を巻きながらつけられているので、あまり登り下りははげしくない。
氷室山とは、このあたり一帯の総称らしい。
三角点峰らしいピークがあったので、縦走路からはずれて登っていくと、思った通り三角点のある宝生山というピークだった。
展望は全くないが、感じのよい雑木に囲まれたところだ。
風はたいしたことはなかったが、じっとしているとかなり寒かった。
宝生山からは南に向かう踏みあともあるようだったが、北東への尾根を下って登山道に合流。
下っていくと鞍部に植林地があり、黒坂石方面への整備された道。
今回は椀名条山にも登りたかったので、ここは直進してすぐに氷室山神社。
社殿はなく、石の祠と石灯籠がある。
神社を過ぎると、アカマツやカラマツの林。
アカマツ林になっているところは造林作業を放棄したようなところが多いのだが、ここの場合つい最近下刈りしたばかりのようだった。
マツタケ山にするには奥山すぎるので、どういう意図でアカマツを育てているのか知りたい。
やがて、東側がよく見える尾根の上に出る。妙義山をやさしくしたようなギザギザの山は石裂山だろうか。
尾根を越えている林道や送電鉄塔が目障りだが、低山の宝庫といえる景観だ。
やがて粟野町方面と黒坂石方面との分岐点となる。
地形図では1109メートルピークの上で分岐するようになっているが、実際の分岐点はそれより南の尾根上にある。
石宮の置かれた1109メートルピークからは、椀名条山を経て黒坂石に下山するだけだ。
多少の登り下りはあるが、林道にじゃまされないで尾根の上を下り気味にまっすぐに歩いていけるというのは、なかなか快適。
ときおり赤テープやガムテープがあるだけで、道標のたぐいは全くないし、整備された登山道ではないので灌木の小枝に顔面をひっぱたかれることも多いが、尾根の上なので迷うことはない。
真東にそびえる袈裟丸・皇海連峰を目印にのんびり下った。
やや雲が薄くなったのか、雑木ごしに男体山も顔を出した。
下りはじめて40分ほどで椀名条山。
思った通りのヤブ山だが、多少の切り開きがあり、日だまりハイクに好適そうなところだ。
腰をおろすと、正面雑木ごしに根本山が意外に鋭い形。
根本山は、南から見ると海坊主形なのだが、裏から見ると全然ちがった形なのだ。
氷室山も見えるが、ぱっとしない。
後ろをふりむくと、地蔵岳や横根山が、こちらは雑木にじゃまされないで見えていた。
最後は予定していたところときっちり同じ地点で車道に出ることができた。