登山道はブナの森
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湯野上温泉の民宿「会津野」は、いい宿だった。風呂も客室も清潔で、とても気持ちがよく、鶏肉のはいった鍋がすこぶる美味で、二食つき八千円で泊まれた。日曜日は、早起きと、大戸岳の疲れとで、夕食後早くに休んだ。
翌日は、小野岳を予定していた。
台風が九州に接近しており、前線が刺激されて、天気は下り坂とのことだったが、曇り空ではあるものの、いっぺんに崩れそうには見えなかったので、山に向かうことにした。
流星号(MTB)を下山予定地の大内宿にデポし、小野観音への車道分岐付近の駐車スペースから、ゆっくり歩き始めた。
自動車の通りのない道路はのんびりとくつろげていいものだ。
道路はたのノコンギク、ナギナタコウジュ、ツルケマン、大ぶりのアザミなどを愛でながら行くと、二十分ほどで小野観音の境内。
境内に入って、由緒書きを読んだり、そこらに咲いていたツルボの花を見ながら、しばらく休む。
小野観音は案外新しいお堂で、文化10(1813)年に大雄得明和尚という人が、小野岳にあった白髭大明神の本地仏の十一面観音を遷したのが始まりだということが書いてあった。
ここからは登山道になるが、西へ向かって水平につけられた歩きやすい道。
スギ林だが、雑木がまじっているので、名前のわからないキノコがいろいろと出ていた。
明治三十二年に建てられた馬頭尊の石柱を見て過ぎると、感じのよい雑木林。
このあたりは、ブナ、ミズナラ、クリ、ケヤキなどの二次林だが、わざと伐り残したものと思われるクリやミズナラの大木もちらほら見られた。
むらさき色のフウセンタケ科と思われるキノコやワタカラカサタケなどが多いが、食べられるキノコは見あたらなかった。
登山口と記された道標のあるところで小休止。
ザックをおろしてあたりを見回すが、オツネンタケモドキやニガクリタケなどが出ていただけだった。
ここからは、スギの植林の中の急登。
若いスギ林のため、雑草が繁茂していて、快適ではない。
キンミズヒキやイノコヅチ、ミズヒキなどの種子が衣服に付着するのを払いながら、がまんの登り。
スギ林を抜けると、ようやくお待ちかねの雑木林。
コテングタケモドキやナラタケ、クリタケ、モエギタケなどが出迎えてくれた。
ここには、今まで見たことのないほどのクリの大木があった。
さらに登っていくと、ネマガリタケのなかのブナ・ミズナラ林。
遠くから目をつけて、これはと思うミズナラへとササをこいでいくと、マイタケを採取したあとと思われるところが二ヶ所見つかったが、マイタケは見つからなかった。
でもこのあたりで、ナラタケやムキタケをいくつか見つけることができた。
大戸岳も小野岳も、ナラタケはとても多い。
1996年の場合、九月中旬に登れば、腰籠いっぱいとれたと思うが、われわれが行ったときには、悪くなりかけたのが多かった。
ダケカンバがあらわれると、ヤマブドウのツルがからんだところが何ヶ所か。
木を見上げると、こずえの方は鈴なりだが、手の届くところの実は少ない。
傾斜が少なくなり、伐採あとかと思われる荒れ地を抜けると、石祠のある小野岳の山頂にとびだした。
山頂の東側が開けていて、目の前の大戸岳が屏風のような大きさだ。
磐梯山、吾妻連峰、安達太良連峰は雲の上に頭を出していて、いい感じ。
足元には、名残のウツボグサやハンゴンソウが咲いていた。
道々とってきた食用キノコを、今日はラーメンに入れる。
ムキタケやクリタケはいうまでもないが、ここのムラサキシメジは特有のほこりっぽさがなく、とても味がよかった。
風が少々吹いていたので冷えてしまったからだを、キノコラーメンであたため、大内宿への道を下る。
小野岳から少し下ったところの北側はがけといっていいほどの急傾斜なため、展望はよい。
青く輝く沼尾沼の周囲は自然林で、いかにも豊かな山という印象だ。
沼尾への分岐を見送ると、ヒノキ林。これは天然ものだろうか。
仮に植えられたものだとしても、ずいぶんりっぱなヒノキばかりだ。
さらに尾根上の急降下が続くのだが、このあたりの原生林は息をのむばかりのすばらしさ。
ブナもミズナラも樹齢何百年を経たものか、想像を絶する巨木ばかり。
これらの木々にさわったり、記念写真を撮ったりしながら行くと、幹まわり五メートルほどのシナノキが二本。
こんなシナノキは、北海道にだって残っていないのではなかろうか。
送電鉄塔手前でふたたび北側が開け、大内ダムのかなたに飯豊連峰がのぞく。
一日どうにか天気がもってくれてありがたかった。
鉄塔のところからは急傾斜のジグザグ下り。
ここから下には巨木は見られない。水場になっている小沢に下りつくとあたりはスギ林。
大内登山口の林道入口まではまもなくだった。
帰りは、大内宿をちょっと冷やかし、芦ノ牧温泉の温泉ドライブイン(\290)で汗を流して、雨の東北道を埼玉に向かった。