歴史の山
−宇津峰−

 【年月日】  1995年1月16日
 【パーティ】 2人
 【タイム】  宮田登山口(11:53)−宇津峰(12:20-12:57)−宮田登山口(13:24)
 【地形図】 須賀川東部

 宇津峰カントリークラブの前を通り、クレー射撃場への道を分け、登っていくと登山口の駐車場。
 自動車でずいぶん登ったので、ピークまではほんの少しだ。

 雑木林のなかの登りは快適だが、緑色の鉄の手すりが登山道に沿ってつけられており、山登りという感じがしない。
 ひと登りでトイレやベンチのある広場で、そこからは手すりのついた石段を登っていく。
 須賀川の市街が雑木ごしに見えてくると、石宮の前に登り着く。

 石宮から少し東に行ったところが山頂で、あずまやの先のいちばん高いところには「東北勤王忠烈之阯」という石柱が建てられていた。
 これは、昭和15年10月28日に紀元2600年記念として宇津峰御忠蹟奉彰会が建てたもの。
 協賛団体は町村長会、教育部会、神職会、在郷軍人連合会、青年団。

 宇津峰がなぜ「忠烈之阯」かというと、興国元(1340)年から正平八(1353)年まで、北畠彰信父子が宇津峰宮守永親王を奉じて北朝軍と戦ったあとだからだそうだ(いずれも南朝の年号)。
 頂上の一画にあった石宮は、守永親王、後村上天皇、後亀山天皇の3人を祀っているらしい。
 北畠彰信が霊山・宇津峰に拠ったということは史書に書かれているから事実だろう。
 後村上天皇と後亀山天皇の親子(後醍醐の子と孫)のうち、後村上天皇は東北にも来ているからここに祀られているのだろう。
 守永親王というのは護良親王のことかな。

 ときおり寒風が吹き抜けるあずまやで凍ったうどんをとかして食べた。

 登山口にある雲水峰清水は、南朝軍の飲料水にもなったという能書きがある古い清水だが、枯れていて使えなかった。